悲しみの分かち合い

社会保障を一言で言うとスウェーデン語で
オムソーリ、悲しみの分かち合いではないでしょうか。

フィンランドでは11月にホームレスの日があります。

この日は大統領も
教会の大司教も国会議事堂の前でかがり火を焚きます。

ホームレスの人たちを忘れないようにとするためだそうです。

フィンランドでは社会保障が充実されている基礎の一つが
こうした、いわば悲しみを分かち合うことだろうか。

そういえば、
原爆の平和慰霊祭
終戦記念日の慰霊祭
があります。
悲惨な戦争の悲しみを分かち合い、
日本の平和を祈念するものと思います。

日本でもさらに
議事堂の前で

内閣総理大臣、天皇陛下、
宗教指導者がホームレスのみならず
社会的弱者のためにかがり火を焚いたら
国民の社会的弱者に対する見方ももっともっと
やさしくなるのかも知れません。

社会保障は悲しみの分かち合いという意識が国民に広まる
と思います。

悲しみを分かち合い、そういう人たちを気にかけて
生きていくこと

これが、ともに生きることではないでしょうか。

以前日弁連の人権大会で冤罪の再審活動の発表の途中で
嗚咽する弁護士

今年の「働く貧困」のシンポジウムでもジングルマザーを支援する女性が、労働組合の委員長が
それぞれ涙で報告が中断した。

こういう私も刑事事件の弁論で
よく泣いた。

最も泣いたのは老夫婦の夫の依頼による
嘱託殺人であります。

年金がない老夫婦、医療費が嵩む。
糖尿病からのひどい床ずれ
夫が殺人を妻に依頼し

妻が座布団を夫の顔に押しつけ、お尻で圧迫して
実行した事案であります。

私は人間が人間を殺す場面の原稿を涙で読むことが
できなかった。

行為の瞬間にこの老夫婦は何を思ったのか。
そんなことを連想すると涙が止めどもなくながれた。

そして
最近では
生活保護が打ち切られ、おにぎりが食べたいといって
餓死したひとを思うと悲しくなります。

6月の議会で平和に関する一般質問で
イラク戦争の本を引用しながら、悲惨な場面の
引用で嗚咽された議員がいました。

手前味噌の点もありますが、
みんなみんな悲しみを分かちあっている人たちと思います。

10月6日