生きる力から、安全網(セーフテイネット)からこぼれた悲劇
下記の記事をどの様に読まれるだろうか。
ある人は絶対に極刑をいうだろう。
その可能性は大だろう。
人間として生まれてきて、
天命を全うせず、
この世を去る。
借金は200~300万円ある。
仕事がない。
今日よくあることだ。
生きる力のある人は
金がないといって借金の取り立てに対し居直る。
夜逃げをして、ホームレスになる。
無線飲食をして刑務所に行く。
問題は
生きる力をなくした人だ。
大抵は、自分だけを
傷つける。
東尋坊とか
富士の樹海
などに行く人もいる。
しかし、彼は
「仕事も全くなく、人生に
嫌気がさした。
誰でもよいから人を殺したいと
思って火を付けた。」
と短絡的な行動にでた。
人の倫(みち)として
「人に迷惑を掛けない。」
という自明の道理は、
彼に通用しなかった。
また世の中の
前提として
「人は死刑をおそれるものだ。」
という論理が彼に働かなかった。
宗教も道徳も倫理も
そして法の無力ということだ。
しかしながら、
彼の本姓はそうではないと思う。
写真をみればわかる。
彼は、写真に自分の顔が写るのを
嫌がっている。
少なくとも
羞恥心はある。
私は更生の可能性はあると信じる。
しかしながら、被害者らの生命の重さが大きい。
もし私が彼の弁護をやるとしたら、
どうするか。
自問する。
彼に人間性を回復させて
刑を受けさせるという
複雑で悲しい弁護になるだろう。
犯行前に、彼に救いの手はなったのか。
実は救いの手あった。
しかし、彼には見えなかった。
私たちのような生活保護のネットワークにきていたら、
こんな悲劇は起きなかったとおもう。
セーフテイネットからこぼれた悲劇といいたい。