生活保護と托鉢?

5月3日の毎日新聞にダライラマの記事があった。

おにぎりが食べたいといって餓死した人がいた。

お腹が空いたとき、再度福祉課の窓口に行くこともなく

餓死をした。

ダライ・ラマにいわせれば、

「物ごいするのは、恥でもなんでもない。

恥をかきながら生きるか、

恥をゆるせず自殺しようかと迷うなら恥を選んだ方がよい。

仏陀自身は托鉢した。」

という。

憲法25条の生存権があり、

国民は恥などかくこともなく、

当然の権利として給付を受けることができる。

憲法25条は、いわゆるマッカーサー草案にもなく

日本人が、提案して憲法の条項に加わったものである。

この生存権については、

ワイマール憲法の流れという見方もあるが、

すんなり、日本国憲法の条項になったのは、

仏教国?の末席として、

生きるすべのないものが、物乞い(托鉢)すれば

これに応えて喜捨するということが底流になったのではないだうか。

以下、記事の要点を抜粋した。

…….

12年続けて3万人が自殺している。

記者は、

「『経済大国』を実現したはずなのに、なぜ多くの人々が生き方を見失い、

幸せを実感できないのか。

自殺の増加は現代社会の大きな脅威だと思いますか。」

とダライラマに質問した。

ダライ・ラマは

「科学技術は精神的なものに取って代わり、お金が人々の心に浸透した。

お金は欲望、嫉妬、競争をもたらし、猜疑心を高め、人間同士の友情を壊す。

『自分は不幸だ』と感じ、

酒や麻薬に依存し、欲求不満が高じ、怒りっほくなる。

それは自殺や周囲の命を奪うことにつながる。

祈りだけでは問題は解決しない。

教育システムを直視しなければならない。

お金がすべての欲望をかなえるとうい考えは

非現実的である。

敬虔な仏教徒であるチベット人の精神的態度はより平和です。

彼らは自信に満ちていて、それが非暴力思想につながる。

極端な物質主義は世界的に危険な考え方です。

それは道徳的な倫理感を重視しません。

汚職や盗みによって得たお金も、賢明に働いて得たお金も

お金に違いはない。

だが、それに道徳的倫理的な支えはない。

今の経済危機は、強欲な拝金主義と投機的行為の結果である。

人々は危機を乗り越える方法も、

人間としての価値観も考慮せず、お金の話ばかりです。

恥をかきながら生きるか。

恥を許せず自殺しようかまようなら、

恥を選んだ方がよい。

何かで失敗し、不幸にも物ごいになっても

それは恥でもなっでもない。

仏陀自身は托鉢した。

私たちチベット人は(亡命して)

インドに来た時、食べ物を求める物ごいでした。

何かで失敗したとしても、自ら命を絶つ理由などない。」

と応えた。

 …….

毎日の様に鉄道で人身事故の事故がある。

多重債務者の相談者に対し

生活保護の話をすると、

そんな恥ずかしいことは、

いやだという人もいる。

……….

記者は

ダライ・ラマに対し

「失礼ですが、ご自身で自殺を考えたことはありますか?」

と質問した。

ダライ・ラマは

「それは最高機密です(笑い)。

もしそんな感情を抱いたとしても、

私は誰にもいわないでしょう。

ただ、時々、わずかな怒りや失意を

感じることはありますが。」

……….

ダライ・ラマはある日、活仏となり、

チベットの動乱でインドに亡命した。

世界平和の活動などでノーベル平和賞を

受賞した。

そんなダライ・ラマも

記者は

「最高指導者として苦悩もにじませせた。」

といっている。