17歳の女子学生のー負の遺産からー平和の願い
(毎日新聞6月24日朝刊より)
沖縄慰霊の日:17歳、詩に託す平和

65年前の太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる沖縄慰霊の日の23日、沖縄県内各地で慰霊式や追悼式があった。
初めて平和の礎(いしじ)を訪れたのは小学1年の時。「なぜこんなにたくさんの人が亡くならなければならなかったのか」。驚きと悲しみがこみ上げた。礎には出征した祖母のいとこの名前が刻まれている。平和への誓いを込めて、詩をこう結んだ。「『一度あった事は二度とない』に変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう その想(おも)いはきっと届いているはずだから」
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「変えてゆく」 沖縄県立普天間高校3年 名嘉司央里
今日もまたはじまる/いつもの日常/当たり前に食事をして/当たり前に好きなことを学んで/当たり前に安心して眠りにつく/そんな普通の一日
今日もまたはじまる/いつもの日常/当たり前に基地があって/当たり前にヘリが飛んでいて/当たり前に爆弾実験が行われている/そんな普通の一日
一見「平和」に思えるこの小さな島/そこにいつの間にか当たり前ではない/当たり前であってはならないものが/入り込んでしまっていた
普通なら受け入れられない現実を/当たり前に受け入れてしまっていた
これで本当にいいのだろうか
平凡な幸せを感じながら/ただただ「平和」を望む今/簡単にこの違和感を/無視していいのだろうか
黒いたくさんの礎/刻まれるたくさんの名前/そこで思い知る/戦争が残した傷跡の大きさ深さ/何も幸せなど生まれなかった/何も手に入れたものなど無かった/すべて失ったものばかりだった
忘れてはならない/この島であった悲しい記憶/目を背けてはならない/悲しい負の遺産/それを負から正に変えてゆく/それがこの遺産を背負い生きてゆく/私達にできること
変えてゆくのは難しい/しかし一人一人が心から/負である「戦争」を忌み嫌い/正である「平和」を深く愛する/そんな世界になれば/きっと正の連鎖がはじまるはずだ
六月二十三日 慰霊の日/あの黒いたくさんの礎には/たくさんの人々が訪れる/そして その一つ一つの名前に触れ/涙を浮かべながら語りかける
「今年も会いに来たよ」と/手を合わせ目を瞑(つぶ)り祈りを捧(ささ)げる/その訪れた人々に/「平和」を願わないものはいない
「一度あった事は二度ある」/そんな言葉を聞いたことがある/しかし こんな悲惨な出来事は/もう繰り返してはならない/だから……/「一度あった事は二度とない」に/変えてゆこう 平和で塗りつぶしていこう
その想(おも)いはきっと届いているはずだから
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ある歌手がトークで戦争をやりたい人はいないと言っていた。
そうだろうか。
戦争をやりたい人が
さまざまな手段を使って
戦争を仕掛けている思わざるを得ない。
科学が発達した。
文明が進化した。
しかしながら、戦争を回避して
平和を構築する科学は
どこにあるのだろうか。
17歳の女子学生は負の遺産から平和を願って
上記の詩を作った。
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私も朝霞市の米軍の基地跡地の負の遺産
についての下記の請願の紹介議員となったが
採決に否決された。
↓をクリックして下さい。
小山の賛成意見があります。
12月議会、私の少数意見(基地跡地の歴史的遺産調査の件)
基地跡地の歴史的遺産調査の件
上記請願の理由は次のとおりです。
記
基地跡地には、歴史的遺産(太平洋戦争、朝鮮戦争
ベトナム戦争)があります。これは現在および後世
に伝えて行くべく貴重な遺産です。何らかの開発が
行われる前に関係者に調査を求めてください。