大川小学校の銀河鉄道の壁画が痛ましい
7月7日大川小を訪れた.
石巻市の大川小学校の校舎は無残に損壊していた。
プールの壁だろうか、壁画がかろうじて残っていた。
74名の子ども、10名の教師が津波に呑み込まれた。
痛ましい悲劇である。
(あの世があるか、どうかわからない。しかし、
ここではあって欲しいと願った。)
未来に希望をもった子どもたちと、
子どもたちの大好きな先生が
同行して、銀河鉄道に乗って、
銀河を旅していると信じたい。
おそらく、わいわい、がやがや
騒々しくて、他の乗客に
迷惑をかけて、いるかも知れない。
それでも乗客は、元気な子どもを目を細めているだろうか。
そんな、子どもたちが、星座から
私たちの子どもに向かって、
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ・・・・・・・・・・」
励ましていると想像したい。
みなさんのご冥福をお祈りします。
なぜ大川小学校の裏山がありながら、ここに避難をさせなかったのか?
これが、保護者の疑問である。
私も現地に行って、まず裏山を登ってみた。
容易に登れた。
しかしながら、おそらく校長不在で全校生徒を指揮命令の
任に当たっていた教頭は、裏山を登ったことがなく、
決断できなかったろう。
この校庭で、約40分間、教頭をトップにどうしようと衆議していただろう。
他方、校舎に設置してある防災無線は「津波が来る。高台に逃げろ」と
繰り返し放送をしていた。また、子どもを迎えにきた保護者からラジオで
「大津波が来るから山に逃げて」といっても、聞いてもらえなかった。
やっと避難先を決めた。北上川のたもとの少し高くなったところだそうだ。
現地で探したら、ここだろうか。仮にここでも水没しており、被災していた
かもしれない。
子どもたちが、避難先目指して裏山に沿って進行していたところ
3時37分津波がおそったのである。
丁度、裏山に沿って歩いていたので、津波がきてとっさに、
裏山に駆け上がった子どもは難をのがれた。
ところで、この校舎は、旧川北町が建設した。
後でわかったことであるが、事前に決めるべき避難先の
指定もなかった。
避難訓練もしていなかったと思われる。
町村合併の弊害がある。
石巻市に合併して効率は良くなたかもしれない。
しかし、きめ細やかな行政ができず、
避難先の指定の点検
避難訓練の実施の確認
などをなおざりにしていたのではなかろうか。
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この件で私が教員だったら、どうしていたか。
想像してみることがある。
なかなか、教頭が決断を出さない。
防災無線が避難を呼びかけている。
ラジオで高台に逃げろと言っている。
現在、教員は、通達やらなにかで、
何も言わない、あるいは言えない
状態になっているのではないだろうか。
現地で、ありったけの声で
「何をやっているんですか。
裏山に避難させてください。」
と叫ぶことができたのだろうか。
あるいは、処分覚悟で
「私のクラスの子どもは、裏山に避難させます。」
といって、別行動をとる勇気があったろうか。
地震の揺れは、これまでに体験をしたことのない相当の揺れだった筈だ。
子どもたちが、震えている。
そんなとき
わたしたちは、どのような行動がとれるのだろうか。
緊急避難の行動をとることができるのだろうか。
大川小の悲劇は、検証して欲しい。
どうすれば、よかったか。
あらためて、なくなれれた子ども、教師のご冥福を
そして、未だいらっいしゃる行方不明者の発見を
お祈りします。