被告に真摯(しんし)な反省もうかがえない。
光市母子殺人事件について最高裁は
「被告に真摯(しんし)な反省もうかがえない。」
ことなどを理由として
死刑判決を是認した。
当初は殺人を認めていたところ
現在の弁護団は殺人を否認した。
その主張が「被告に真摯(しんし)な反省もうかがえない。」
としたようだ。
ある作家は、被告人が否認したら、叱って
あくまで殺人を認めて、反省の態度を示し続けたら、
極刑は免れたという。
弁護士の活動によって
多少の刑事責任の変動はあっても
死刑になったり、ならなかったりするのは
適当な言葉が見つからない。
人に規範意識が芽生え
人に道徳心が育まれることは
後天的な教育の要素があるのではないだろうか。
もし、被告人に規範意識も道徳心もない
というならば、親の責任まで遡る。
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なくなった人の人権はどうなるか、という問題はある。
死刑にすることによって、人権が回復されるのではない。
被告人ばかりではなく親、学校、地域など
責任を共有すべきではないだろうか。
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