「私は君の意見には反対だ。だが、君がそれを主張する権利は、生命をかけて守る」

上記の表題は、朝日新聞2月25日の社説

「会見取材拒否 前原さん、それはない」

の記事の結びである。

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本会議等で私と正反対の発言を

される保守系のある議員と談話する際に

お互いに

「民主主義は、最も嫌いな人と仲良くする

ことだ」といっている。

私の表現活動(政治活動)に何もいわず

「憲法を言わなければいいのに」と

いわれるくらいで上記議員も私も相互を尊重している。

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しかしながら、

最近、私の具体的な表現活動(政治活動)に苦言?を述べられたことがあった。

ある議員は私が3月議会での一般質問について、ある項目について

取り上げることについて、問題があるとか。

また、別のある議員が私が紹介議員になった請願について、

代表者会議で取り上げれば済むものだなどと言って、

問題だという。

これに対し、私は次のように反論している。

「私の表現の自由(政治活動の自由)であり、

その目的は、法の支配の貫徹(正義の実現)である。

私は、どこの組織もしがらみもない。

誰からも、指図されない。

議員は、それぞれが自分の信じる方法で

発言し行動すればよい。

と主張しても、なかなか納得してくれない。

いずれにしても、自分が信じることを主張し、
自己責任でやって行きたいと思っている。

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議会においても共生社会の縮図である。

人間に個性があるとおり

それぞれの人間の政治活動にも個性がある。

一般質問をしない議員

一般質問の原稿を起案してもらう議員

一切の請願の紹介議員にならない議員

市長提案の議案には、反対しない議員

このような議員の個性は気にならないが、
私の個性(発言、行動)は気になるということか。

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私が新人議員だった時、あるベテラン議員から
「小山さんは新人議員だから何をやっても許される。」
といわれ、まずは行動することを助言された。
わたしは、その助言を信じ、自ら信じることをやってきた。
ならば、
教養のあるベテラン議員ならば、
手段・方法が異なっているとしても
富士山の登り方の登山口の違いである。
ベテラン議員はベテラン議員として
自ら信じる手段・方法で行えばいいだけであり、
他の議員の行動について
受忍する度量が必要ではないだろうか。
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みんながそれぞれ信じることを主張し、行うという

いわば、自由市場を立場が異なっても
保証することが

議会改革、市民参加の前提であると考える。
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「私は君の意見(行動)には反対だ。だが、君がそれを主張(行動)する権利は、生命をかけて守る」
ベテラン議員からは、こんなことを言ってもらいたいものだ。
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