朝日新聞コラム「フィリピンの英語 豊かさへの切符なのか」を読んでー英語公用化の光と影か?
今日(平成26年6月21日)の朝日新聞のコラムを読んで、考え込んでしまった。私を含め、家族にも英語の勉強について何も考えずに当然と思っていた。
でも、限られた時間の中で、英語に相当な時間割いてしまったら、当然に残りの時間はなくなる。何かを失ったかも知れない。
今、小学校の授業でも英語が5年生から必修だ。国民の英語力は上がるかも知れない。反対に失うものはないだろうか。
この前、テレビで英検の2級の幼児のことをやっていた。この幼児に何か失っているものはないだろうか。私はこの子たちのその後が知りたい。
小学生で微分、積分ができる子がいるそうだ。わーすごいと思ってしまう。しかし、高校で学ぶ、微分、積分を小学校でできて、その後の人生に何かプラスに作用しているか、どうか検証していない。
英語を公用化する企業もあるそうだ。失うものはないだろうか。
そんなことを思いながら、記事を読んだ。以下に要旨を紹介する。
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(ザ・コラム)フィリピンの英語 豊かさへの切符なのか 柴田直治
2014年6月21日
英語が成功の条件であり、豊かさへの切符であるなら、フィリピンはなぜ貧しいままなのか。ここでは生徒が先生よりはるかに金持ちなのだ。日系の英語学校は、現地の水準に比べ相当高い給与を払っている。それでも教師の月収はせいぜい4万円ぐらいだ。
フィリピンは、パソコンを使ったオンライン英会話でも注目を集め、最近、雨後の竹の子のように会社が設立されている。ここでも安さがウリだ。25分の個人レッスンで129円、75円と価格破壊が進む現地の大学生らには良質のバイト先と歓迎されているが、人件費の安さがビジネスモデルの根幹にあることに違いはない。
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日比はともに戦後、焦土からスタートした。世界最大の製品輸出国になった日本に対し、フィリピンは最大の出稼ぎ労働者輸出国になっていた。どこで差がついたのか。ひとつの理由は英語にあるのでは、と私は推論した。
英語ができるため出国への抵抗感が薄いうえ政府が出稼ぎを推奨する。国際機関の幹部から建設労働者まで職種は様々だ。教師が家政婦に、医師が看護師になって外国で働く例も。個人の収入はともかく、人口の1割が出国すれば国内は空洞化する。
フィリピン人とて簡単に英語を習得しているわけではない。各地方の言葉で生活しながら、共通語のフィリピン語に加えて英語を覚える。語学に労力を取られる分、他教科の学習はなおざりになり、製造業に役立つ職業訓練などは後回しにされがちだ。多くの科目の教科書が英語なので、英語で落ちこぼれると学校教育から疎外され、言語能力が中途半端になる。これらの事情が発展を阻んできたのではないか……。
時を経て、グローバル化が進む。インターネット環境があり、同じ技量なら、どこにいても賃金は平準化して不思議はない。
それでもフィリピンは、近隣国に比べ豊かになりきれない。英語ビジネスのほかコールセンターなどが成長しているが、人口増もあり、失業率は高止まりしたまま。賃金もさほど上がらず、出稼ぎも減らない。
英語だけが発展を左右する要素でないとしても、時がたてば類いまれな英語力はこの国の暮らし全体を底上げするのか。それとも英語だけではだめだという見本でありつづけるのか。英語コンプレックスにさいなまれてきた私には気になるところだ。(国際報道部機動特派員)
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