やっと、無罪の弁論要旨を書き上げる。
事件の内容は詳しく述べない。
年末、年始を返上して起案した。
やっと、無罪の弁論要旨を書き上げる。
12月の半ばに検察官の論告があった。
検察官は弁論を年内に終えろといっていた。
私は2週間時間を欲しいといった。
そうすると年内は無理となり、新年早々に公判が入る。
この事件を通じて、冤罪は捜査官の見立ての誤りにより、
容易に作られやすいことを実感した。
起訴すると検察官は、「勝ち、負け」にこだわる。
一端提出した書証の取り調べ、弁護人が同意をしても
どんな都合が悪いのか、撤回する。
勾留が長期になったので、取消請求をしても同意しない。
そして、上記のとおり、弁論も早くやれという。
検察官の意図は、できるだけ「無罪」にしたくないのかと
勘繰ってしまうのはわたしだけであろうか。
起訴したのは、捜査検事だ。
現在、公判を立ち会っている検事ではない。
それでも,「勝ち、負け」にこだわっているようにみえる。
検察官は公益の代表の筈である。
優先順位は、疑わしきは罰せず。
冤罪を産まないことではないだろうか。
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