ありがとう96歳
本格的に 再開です。
(私事で恐縮です。)
昨年12月はじめ、母に治療できない病気がわかった。
初めて余命という言葉に直面した。
このことは、母は知らない。
ならば、母の人生は、私の元で終えて欲しいと願った。
母も孫たちに囲まれた生活を望み、朝霞市民になるつもりだった。
朝霞での準備を整えて
年末に母を迎えに行ったところ、急に具合が悪くなった。
1919(大正8)年1月1日に生まれ、昭和の戦争と復興を体験し、
2015(平成27)年1月1日には、満96歳を迎えた。
1月6日に郷里で人生を全うした。
(葬儀は、近親者のみで行い、ご厚志はご辞退させて頂いた。)
私の父は1961(昭和36)年に亡くなった。
私はまだ小5の11歳だった。
私は悲しみとか、死という重い言葉をいきなり体験した。
その日から回りの景色が変わった。
白黒のモノトーンの世界になった。
このモノトーンの世界は相当の年月つづいた。
父が亡くなったとき、上に兄が13歳、次姉が15歳、長姉が19歳だった。
母は、あまり話をしないが、相当な苦労もあったのではないか。
それから50年余経過した。
母が亡くなって、気がついた。
いつのまにか、回りの景色がカラーになっていた。
光がまぶしい。景色に奥行きがある。
樹木、草花に生命を感じる。
母は生前、散骨してほしいと言っていた。
私はその約束に反して、散骨しないつもりだ。
強く、逞しく生きた96歳
ありがとう