無条件で頼れる特定の誰か必要ー自己肯定感を育む
秋葉原殺傷事件の死刑判決が確定した。それに関連した記事を
朝日新聞27年2月2日朝刊より、法務省の調査報告とコメントを引用する。
ー秋葉原殺傷事件のコメントー
無条件で頼れる特定の誰か必要
「『孤独』から考える秋葉原無差別殺傷事件」
の共著がある社会評論家の芹沢俊介氏の話
信頼を寄せられるはずの母親から幼少期に虐待ともいえるような育て方をされたことが、加藤被告の「孤独」をつくったと思う。寄る辺なき状態に耐えられなくなったとき、人は自殺に向かうか、他者を殺害する方向に向かう。自殺しきれなかった加藤被告は、かろうじてネットの掲示板にすがった。だが、命綱だった掲示板を正体不明の何者かが壊した。怒りの矛先は、特定できない破壊者に向かった。
子どもを寄る辺なき状態にしないこと。そのために、無条件で依存できる特定の誰かが子どものそばには必要だ。その大切さを、秋葉原事件は教えてくれた。
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加藤被告の母親はしつけのつもりであっても、児童虐待を行ってきた。
本来,子どもが無条件で頼れるのが親、母親の筈だ。
悲劇の原点は,母親が子どもの人権が眼中に全くなかったことだ。
子どもの人権を否定することは,子どもから自己肯定感を奪うことだ。
それでも子どもは,人権を侵害する母親でも頼らなければならない。
悲しいできごとだ。
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加藤被告は拘置所の中ではじめて生活が安定し「人間」としての自己肯定が生まれたのかも知れない。
しかしながら,死刑が確定したことにより,「人間」としての未来は保障されない。
一人の人間が7人の人を殺害し、10人に傷害を与え,その家族に深い傷を負わせ、一人の人間の家族もバラバラになり,実弟も自殺する悲劇も生ぜしめた。
一人の人間が踏ん張って怒りに耐えてくれたら,少なからずの人々に悲しみをもたらさなかった。
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教育などで加藤被告に自己肯定感を育みことはできなかったのだろうか。