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9月議会報告1「子どもが育つ魔法の言葉」(ドロシー・ロー・ノルト)

9月議会において、

自己肯定感の質問の項の中で「子どもが育つ魔法の言葉」(ドロシー・ロー・ノルト)

を朗読した。

「子は親の鏡」

けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる

とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる

不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる

子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう

励ましてあげれば、子どもは、自信をもつようになる

広い心で接すれば、キレる子にはならない

誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ

認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる

分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ

子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ

和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

by ドロシー・ロー・ノルト
子どもが育つ魔法の言葉
著者  ドロシー・ロー ノルト,レイチャル ハリス

出版社  PHP研究所

・・・・・・・・・・・・・・・・・

幼い子どもにとって、最初に出会う親は神様みたいなものだ。その一つ一つを信じ、影響を受ける。

みんな大切な言葉である。その中でもし、5つ選ぶならば、次のとおりだ。

①誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

②認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

③分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

④親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを学ぶ

⑤和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

・・・・・・

上記の①と②は、多少ニュアンスが異なる。

小さい子どもは①が必要だ。でも、私たちは他人に誉めてもうらという対価?を目的に何かをするのではない。

少し成長した子どもには②が大切である。誉めてもおうと、もらわないとに関わらず、正しいことはしなければならない。

その力になる言葉だ。

③は、共生社会の理念として大切な言葉である。社会には悲しみが溢れている。この悲しみを分かち合う思いやりを願いたい。

④は、子どもたちには、正直な人になって欲しい。ならば、親がその見本を示すのは当然であり、日々正直な生き方を実践していきたい。

⑤は、家庭は憩いの場であって欲しい。みんなが、くつろげる場であって欲しい。時に、親の期待が強すぎ、厳しい家庭環境の家もあるかもしれない。

家庭が道場、別な見方をすれば闘いの場所である家庭もあるかも知れない。しかしながら、やはり子どもたちは「和気あいあいとした家庭」が豊かな成長の基礎であるだろう。

・・・・・・

言葉は、人を勇気づける

言葉は、人を傷つけることもある。

できることならば、言葉は、人を幸せにするために使いたいと思っている。