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議員活動の原点は父親として何かしたいという思い

父親の会を創設

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私の地域活動の始まりは、子どもが小4と小2だった平成14年頃、八小の父親の会(103の会)を創設したことである。父母と先生の会は母親が多く、父親が参加しにくいと感じたからだ。
当初数名で始めたが、徐々にメンバーが増え、活動の幅も広がった。

子どもたちと一緒に校庭でサッカーをしたり、夏休みには校庭で屋外映画会なども開いた。また、学校の先生もお誘いしてハイキングをしたこともあった。その後、市内の他の学校でも、親父の会が普及していったようだ。

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(八小の校庭での映画会、陽が落ちれば、映画会開始です。)

2分の1成人式

また、2分の1成人式の企画書を持参して校長、担任に提案したこともあった。少年犯罪が話題になっていた折、子どもたちが皆から愛されている実感を持ち、夢を見つけて追いかけて欲しいという思いからだった。 自己肯定感を育む教育を小山が推進しているのはこれがきっかけでもある。
なお、今では八小だけでなく、市内の多くの小学校で行われている。

市民無視の状況を無視できず、やむにやまれず立候補

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平成19年、基地跡地にツインタワーの超高層国家公務員宿舎建設計画が持ち上がった。多くの市民が反対していた。
従前、基地跡地には公園を作る計画案があった。小山は、この土地は未来の子どもたちに残すべき財産だと感じ、子を持つ親として行動しなければと思った。法的に理論武装をして、反対市民の請願を実現させたいと願った。
そこで、この問題は朝霞100年の計であり、賛成・反対は住民投票で決めるべきであることを訴えて市議選に出馬し、議員となった。
国が建設を着工した時も、市民とともに世論に対し建設反対を訴え続けた。そしてついに、反対の声が国政に届き、平成23年12月、建設中止が決定した。

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その後、宿舎建設予定地は朝霞の森となり、暫定ではあるが市民が利用できるようになった。
朝霞の森で遊んでいる子どもたちを見るたびに、基地跡地の国家公務員宿舎計画を白紙撤回できて本当によかったと感じている。

そして議員になり、弁護士の知見を活かして活動

少数者も見捨てないー父子手当条例

父子手当請願可決

(請願採択の瞬間  13対10で採択、反対進政会7明政会3)

議員となった当時、経済的困窮度が同じであるにもかかわらず、母子家庭には手当てが支給され、父子家庭には手当てが支給されていなかった。
私はこの状況を知り、弁護士としても市民感覚としても不平等だと感じ、改善しなければと思った。

本来、議員には立法権がある。しかし朝霞市議会では、議員がこうした条例を作った例がなかった。そもそも、ひとり会派の小山だけでは、条例提案は困難だった。

そこで小山は市民の協力を得て、父子手当条例創設の請願を出していただくことにした。
請願は議会に掛けられた。この請願は全会一致で採択されると思っていたが、意外にも保守系会派が反対に回った。

しかし、最終的に保守系会派の賛否が割れ、賛成多数で採択されるという異例の事態となった。

朝霞市議会の歴史上、議員がこのように執行部に条例を作るよう請願を出し、その結果採択されたのは初めてであった。早々に条例として制定されたこともあり、この父子手当条例は全国で10番目、県内では初めてであった。
その後、父子手当はその必要性が認められ、法律が改正された。条例はその役目を終えたが、国の法律改正の先駆けとなったことは誇るべきことだと思う。