私の説諭
ある被告人は窃盗を繰り返ている。
人生の大半が刑務所ぐらしみたいなものだ。
刑務所の矯正教育も本人に影響を与えなかったようだ。
80代になっている。 家族もなく、孤独な人生を送っている。
この世に生まれて、多くの人々と交わっている。
最初に出会うのが、親である。
刑事事件なんかを通じて、親に恵まれていない人が多いことを知る。
人間の感性は、幼児期の保育歴が大きく影響を与えている。
どんな家庭で養育されたのだろうか。
国の援助制度により、出所後のケアーがあった。
あまり知られていないようだ。
ある 被告人は、前刑の出所後国の生活援助制度により、高齢者施設に入ることができた。
私からみれば、何不自由のないと思われる。
同年齢の高齢者に比べれば、施設の入居は恵まれている。
ところが、被告人は怖い男性職員がいて、あることでまた叱られるので施設を出てしまったという。
施設は捜索願いを出していたそうだ。
施設を出てホームレスの生活をして、空腹にたまりかねず、スーパーでカップ焼きそば(100円余り)を万引きをした。
先日、ある被告人からひらがなの手紙がきた。
反省文とお願いことが書いてあった。
私は接見室で、こんな説諭をした。
「刑務所で天命を全うしていいですか。
何かできることはないですか。散歩のついでにゴミを拾うとか、」
「私は整理整頓が得意だから、まちの掃除をやります。」
「人から,あの掃除のおじさん、いい人だと言われて天命を全うしませんか。」
「そうします。」
ある被告人は、高齢者であるが、この寒空のもと、ホームレースができる程強い生命力がある。
多少、社会に何かよく思い出を残して、天命を全うしてほしい。
1回こっきりの人生
大切にして欲しい。
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