「どうせ言っても先生は聞いてくれない」

広島中3生自殺事件は、一言でいうならば、教育の目的を忘れ、

人権の配慮がなかったというべきである。

いままでに教育関係者の問題点が明らかにされてきた。

最大の問題は、これまで推薦の再の非行の事実を3年生の現在に限っていたのに、1年生まで遡ることにしたことによる。

担任は反対したが、押し切られた。

遡らせることを求める教師は、どんなことを考えているのだろうか。

この教師は生徒指導の担当者であるとすると、見せしめだろうか。

子どもたちに、非行などをすると高校に推薦しないという、「説得」それとも「脅し」に

これからの生徒指導に使おうというのだろうか。

生徒が現在反省してまじめに高校で勉強しようとしている。

生徒が少しでもいい高校?に進学したたいと思っている。

だとするならば、それを応援するのが教師ではないか。

生徒の人生を応援するのが、教育者であると思いたい。

1年の非行を持ち出して、生徒をあえて、厳しい道に進ませる。

なんてひどい話しだ。

私が考える教師とは、ほど遠い。

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大学受験をしたとき、厳封されていた、調査書をそっとみた。

担任は精一杯、私について、よいことを書いていてくれた。

担任には、好かれていないから、よい評価はないと思っていた。

そのとき、学んだ。

教育者とは、子どもの可能性に応援するものだ。

おそらく、多くの教育者は、調査書を書くとき、

そんな気持ちだろう。

後日、大学に入り、何かのついでに調査書についての扱いを訪ねたところ、合否に影響していないといっていた。

そりゃそうだ。

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中3生の担任は、事件後、学校に登校していないようだ。

担任は、過去に遡る非行について、反対したが押し切られ、生徒を推薦できないことは、納得できないことだったろう。

やむなく、中3生に1年時に非行の事実があると思って、推薦できないと告知してしまった。

こんなことぐらいで自殺するなどと、思いもよらなかっただろう。

担任を含め、教育関係者は、今一度、教育の目的、人権の意義などを考えて頂きたい。

私たちも、中3生の死を無駄にしてはいけない。

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生徒にとって、学校は、

「先生は聞いてくれる」

ところにあって欲しい。