いじめ問題と政治

私の仕事場は駅のロータリーに面している。選挙があると各候補者のスヒーチが聞こえる。選挙が終わり、日常に戻った。今回の選挙で印象的だったのが、「排除の論理」だった。

そして、選挙後、当事者は、「排除の論理」について反省をしているという。「排除の論理」は、いじめである。

 

いじめには、四十構造があるといわれている。[被害者]、[加害者]、[観衆]、最後に[傍観者]である。

[観衆]は、私は[助勢者]といっている。

 

選挙の結果は、「排除の論理」で仲間外れにしようと思ったところ、仲間はずれになる[被害者]たちが結束して、仲間外れしようとした[加害者]をしのいでしまった。

気の毒なのは、[助勢者]となった候補者だ。その大半が無残な結果となった。

 

その原因は市民[傍観者]が[被害者]側についてしまったことである。

その中で特に市民[傍観者]と一緒に運動をしてきた候補者は、

じくじたる思いをされているのだろう。

 

それでも政治の世界だから、「排除の論理」のほかに、[助勢者]となった候補者がこれまで市民に対し主張してきた立憲主義とか憲法の平和主義の考え方と[加害者]のそれと真逆の主張をしているのに、[加害者]の指にとまったことである。

今回の選挙で与党は、内閣の不信任率は高いものの、野党の分断により大勝だった。その主要な要素として「加害者」側の戦術があるだ。

 

市民は、支援していた[助勢者]に裏切られた思いがある。そしてほくそ笑んでいるのが、与党である。

 

今回の選挙は、まさに「漁夫の利」の説明にぴっ足しのものだ。