ある市民への追悼
Posted on 2022年1月10日 by 小山 香
昨年末、喪中の連絡を頂いた。
Aさんがお亡くなりになったことを知った。83歳だった。
朝霞のまちづくりの問題である、基地跡地利用問題は、今から約20年前の2003年ころより、始まっており、そうするとAさんは、定年後から15年以上ズート朝霞の問題について市民の一人として積極的に参加してきたことになる。なお、現役時代は大手商社の子会社の社長だったといっていた。
基地跡地の関係で、私は2007年に市議会議員になった。議員になったが、文字通り一人会派であり、2人以上ではないと会派は組ないとされていたので、議員活動が制限されていた。
それを打開する方法が、請願権の行使である。請願を出すと賛成意見で政策提言ができる。
Aさんが請願者になり、私が紹介議員となって、約40件ばかりの請願を出した。
その中で朝霞市に対して「父子手当条例創設」の請願を出し、可決され、全国で3番目、埼玉県ではじめての条例が制定されたことは思い出深いものである。
(下記の書面提出の写真は、請願を提出したところである。)

まず議員として手がけたのが、全員協議会と代表者会議の公開である。当時、これらの会議は非公開であった。当時地方自治法のどこにも全員協議会、代表者会議の名前はない。いわは闇会議である。
会議を公開して欲しいと議会宛ての請願を出した。多数決で採択された。
(下記の傍聴人の写真は、全員協議会はじめて市民に公開された写真である。Aさんらは大変喜んでいた。)

全会一致ではなく、反対者がいる。この問題が多数決であることが、朝霞市の民主主義の限界がある。
いずれにしても、議会改革の段一歩が実現したのである。
ところで、Aさんほど、市議会の本会議、各委員会を傍聴した人はいない。この当時は、Aさんらは、議会ウオッチィングというミニコミを作っており、議員の採点簿が掲載されていた。
議員の中には、辛口の採点簿について、多少気にしていたようだ。
その後、体調を悪くされた後も、回復後は、車椅子で議会の傍聴をしていた。その情熱は、議員の全員が感動したはずである。
基地跡地利用問題は、市民の粘りづよい運動があり、公務員宿舎建設は挫折し、公園ができた。
その公園の名称に、Aさんは応募していた。Aさんらの「朝霞の森」と決まった。
(下記のアドバルーンの写真は、基地跡地の公園の開演の写真である。)

Aさんらが来賓として式典にいらっしゃっていた。こころある朝霞市民は、基地跡地の利用問題を通じて、民主主義について考え、実践をした。その成果の一つが
「朝霞の森」である。
Aさんは、その他、まちづくりNPOを独力で立ち上げたと聞いているがその詳細は知らない。
私は、議員を2019年12月に引退し、その後「楽しい法教育研究会」を立ち上げた。
Aさんに声をお掛けすると、ご家族に会場まで送ってもらっていた。
私はAさんから、朝霞市のまちづくりのさまざまな提言を頂いていた。真摯にこのまちの改革を考えていた。
本来ならば、こうした情熱のある人が市政に参画する制度があったなら、もっともっとAさんは活躍できたと思う。
しかし、私の3期12年の議員活動の中で、私には、Aさんは輝いてみえた。
追伸
議員引退後、Aさんがお元気なとき、市長選挙を気にしていた。昨年1月になって、Aさん立候補を連絡したかったが、入院中で、叶わなかった。
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