主権者教育(3)―児童会・生徒会活動からの主権者教育―
第2 児童会・生徒会活動からの主権者教育
1 次に、学級より少し大きな社会として学校の児童会・生徒会という社会 があり、これも主権者教育の場としてふさわしい(注1)。地方自治は民主主義の学校といわれるが、学校の児童会・生徒会は民主主義の学校そのものだ。文科省も特別活動の児童会・生徒会の目標につき、前述した学級活動同様「学校生活づくりに参画し諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度を育てる」としている。したがって、前述したようにこれは「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざすと言い換えることができる。
2 ところで、小学校の学級活動や児童会生徒会活動によって主権者意識が醸成されてくると、中学校・高等学校に進学した際、小学校のときは自由だった個人の私的領域まで規制する校則、生徒心得(以下「校則等」という。)などのきまりに疑問を持つ生徒が出てくるかもしれない。なぜ、校則等が個人の私的領域まで入り込んで拘束するのか、校則等による拘束がなくても「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」はできるのではないか、という疑問である。
文科省も子どもたちの校則等の疑問を予想してか、中学校・高等学校 の各学習指導要領の解説には、次のように述べている。
「生徒が充実した学校生活を送るためには、学校生活における規 律が必要であるとともに、生徒が進んでその規律を守ることが大切である。規律は、とかく拘束的なもののように受け取られやすいが、むしろ豊かな充実した集団生活を営むためにこそ必要である」(注2)。
しかしながら、上記の解説は子どもたちの疑問の答えにならない。生徒 が、規律の根拠となる校則等について、意見を述べたり変更を求めたりできることに触れていない。子どもたちは、「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざす学級活動によって、きまりには立法事実が必要であること、子どもの権利条約に基づく意見を表明する権利があることを学び実践している。
したがって、主権者教育の実践においては、まず、当然に生徒に校 則等に意見を述べる権利があること、校則等について立法事実が必要であることを確認することが必要である。そして、生徒と教師らとで立法事実を検討した上で、校則等以外に目的達成の手段がないかなどを考慮し、対話と傾聴により合意形成をめざす必要がある。この結果、校則等の立法事実の存在が明確になったり、あるいは反対に立法事実がないことが明らかになったり、仮に立法事実があっても廃止、修正などがあるかもしれない。この過程はまさに主権者教育そのものである。さらに仮に校則等を学校内の最高法規だと例えるとしても、国の最高法規の憲法にも改正手続がある。したがって、生徒と教師とが対話と傾聴による合意形成によって、校則等に改正手続を設けることは、主権者教育の実践としての意義があることであろう(注3)。また、子どもたちの校則等に関するこの経験が、より主権者意識を醸成することは間違いない。
3 若者たちが政治とか選挙に関心がないと、言われている。その原因の 一つとして、これまで校則等についてタブー視してきたこともあるのではないか。学校教育の正規の授業内容として主権者教育が組み込まれた以上、議論にタブーは存在しない筈である。子どもたちに児童会・生徒会活動を通じてどんな疑問でも自由に討論し、表現の自由の大切さを実感させることにより、社会は変えられるという主権者意識が形成されていくのである。
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(注1) 小学校、中学校、高等学校の名称の態様は下記のとおりである。
小学校 中学校 高等学校
学級活動 学級活動 ホームルーム活動
児童会 生徒会 生徒会
(注2)文科省中学校学習指導要領解説特別活動編60頁、同高等学校46頁。
(注3)なお、校則等の改正について、前掲高等学校解説特別活動編は「生徒会においては、このようなきまり(校則、生徒心得、生徒間の申し合わせ。筆者注)について考えたり、改善したり」(46頁)という程度の消極的記述に留まる。
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