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亡上岡龍太郎 憲法9条を語る

亡上岡龍太郎 憲法9条を語る

上岡龍太郎さんが亡くなられた。たしか2000年のころ、引退すると言っていたことを覚えている。格好いい、生き方だと思っていた。

ネットを検索していたら、上岡さんが憲法9条について語ったいた。

憲法9条では軍隊もてない。軍隊持ちたければ憲法変えなければもてない。憲法9条では軍隊もってはいけない。非武装中立でなければならない。
非武装中立はロマンであり、理想である。
政治は理想に向かって行くべきである。

 

高校生時代にこんな議論が普通だった。

憲法記念講演会

憲法記念講演会

5月3日東京大学大教室での全国憲法研究会主催の憲法記念講演会に出かけた。

・西谷修氏の「終末論的西洋と21世紀の戦争」

・愛敬浩二氏の「『表現の不自由展・その後」のその後

西谷氏の講演は、近現代の世界史を巨視的に見るものであった。予定の時間では終わらない大きなテーマのお話である。

明治憲法とか、富国強兵とか、その後の日本国憲法の成立とかガテンがいくお話である。日本国憲法の先進性に納得した。

愛敬浩二氏のお話も「目からうろこ」であった。

芸術の自由の保障と民主主義の言論の自由とはリンクしている点をさまざまな例を上げてのお話である。

余談の中で、ピカソのゲルニカが素晴らしいのは、ピカソがあって、その次にゲルニカであるから、多くの人は、「感動」をするのではないか。ピカソ抜きにゲルニカの感動はないのではないかとのお話は面白い。

大教室は聴衆で埋まっていた。若い学生さんも沢山いた。ものの見方の多面性が深まり、満足した午後のひとときであった。

ネットで他の問題を検索していたら、次の記事が出てきた。

丁度西谷修氏のお話と同じ脈絡であるので、引用したい。

・・・・・

江田五月ー新たな出発

2000/11/28 憲法改正問題と「保・革」

長いあいだ、政治勢力を保守・革新という分け方をしてきていた。最近では必ずしもこの分け方でいいきれない情勢ではある。

「保守」は憲法改正を、「革新」は憲法改正反対を主張してきていた。私は、この言葉の矛盾をおかしいと思い続けていた。変えるほうが「保守」であり、守るほうが「革新」というのはどうしてそうなのだろうかという疑問であった。

この疑問に単純に応えてくれたのが日本の民法を体系化した民法の権威我妻栄先生でした。私がまだ学生時代に聴いた憲法記念講演会での話でした。単純なことです。憲法は世界の憲法をリードする未来を先取りしたものである。だから古い体質にこだわり守り続けたいたいという人は改正を唱え、新しい未来をみつめている人々は進んでいる(現状よりすすんでいる)憲法を守ろうとするからだということでした。そうなんです。単純なことでした。

加藤周一さんも憲法調査会で日本の憲法の先進性に触れられています。脅威を作らない外交こそが平和を守り、武力による威嚇によって平和が訪れた歴史はなく、「正義の闘い」は常に言い訳でしかすぎないことを主張されています。日本の良心とも言われている人の冷静な発言です。憲法問題が冷静に語られ、まだ若い憲法を着実に私たちの肉にしていく論議が必要です。

「我が9条守りきりたい 許し合い 信じよう」(沢田研二 『我が窮状 』より)

「我が9条守りきりたい 許し合い 信じよう」(沢田研二 『我が窮状 』より)

前のブログで沢田研二さんの「脱走兵」の歌を取り上げた。

その延長にあるのが、その沢田さん作詞の「我が窮状」であろう。

「我が窮状」

https://youtu.be/7qnCuckLIbA

 作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫
1麗しの国 日本に生まれ
 誇りも感じているが
 忌まわしい時代に 遡るのは
 賢明じゃない
 英霊の涙に変えて
 授かった宝だ
 この窮状 救うために
 声なき声よ集え
 我が窮状 守りきれたら
 残す未来輝くよ
2麗しの国 日本の核が
 歯車を狂わせたんだ
 老いたるは無力を気骨に変えて
 礎石となろうぜ
 諦めは取り返せない
 過ちを招くだけ
 この窮状 救いたいよ
 声に集め歌おう
 我が窮状 守れないなら
 真の平和ありえない
(リフレイン)
 この窮状 救えるのは
 静かに通る言葉
 我が窮状 守りきりたい
 許し合い 信じよう
・・・・
沢田さんにとって、現在の憲法改正の動向は、憲法9条にとって窮状と思われのであろう。
歌手という一種の人気商売であって、この窮状の歌を作り歌うことは、相当の勇気のいることである。今のところ、他の歌手でこの窮状をカバーするひとはいないようだ。

戦争するために生まれてきたのではありません(脱走兵より)

戦争するために生まれてきたのではありません(脱走兵より)

先のプログで加川良さんの「教訓1」を取り上げた。実はこのとき、もう一つのフォークソングのことも思い出していた。

当時は「拝啓 大統領」という題名の歌だった。当時ベトナム戦争でアメリカ兵の反戦脱走支援があり、まずはアメリカでそして日本でも歌われていたものだった。

今、ネットで検索すると原曲がシャンソンで題名が「脱走兵」という。フランスのアルジェ戦争の時代に作られた歌である。

そして、シャンソンとして沢田研二さんも謳っている。

脱走兵

作詞・作曲ボリス・ヴィアン
歌 沢田研二
https://youtu.be/wkn8mbTju7U

大統領閣下 手紙を書きます
もしお暇があれば 読んでください
僕は今 戦争に行くようにとの
令状を受け取りました いわゆる赤紙です

大統領閣下 僕は嫌です
戦争するため 生まれたのではありません
勇気を出して あえて言います
僕は決めました 逃げ出すことを

生まれてこのかた 父を死を見て
兄は戦場へ行き 子供が泣くのを見
悲しむ母を見ました その母は墓の中
爆弾も平気 ウジ虫も平気

牢から出た僕に 愛する妻も
過去の愛しい日々も 魂さえない
明日の朝早く 忘れたい思い出を
部屋に閉じこめて 僕は旅立つ

行く先決めず 見知らぬ国から
この世の果てまで 声高らかに
“ ノン ”と言うのだ 戦争を拒否せよ
我らは同じ人間

血を流したいなら どうぞあなたの血を
猫をかぶったみなさん お偉い方々
僕を見つけたら どうぞご自由に
撃ってください
撃ってください

 

私たちは、当時、この歌を気楽に口ずさんでいた。その50年後
気楽に歌える状況でなくなった。
日々のニュースがウクライナ戦争が悲惨な現実を可視化している。

教訓1「命はひとつ 人生と1回 だから命を捨てないようにネ」

前日アップした政治学者「豊永郁子」の勉強会 政治学者豊永郁子氏「『ウクライナ、戦争と人間』と憲法9条」の結びに替えてフォークソング教訓1をyoutubedで聴いてもらった。
[弁護士会会長をはさんでスリーショット]
今から約50年前のフォークソングである。本家の中川良さん、吉田拓郎さん、松山千春さんそして女優の杏さんも謳っている。
女優の杏さんの教訓1
1番
命はひとつ 人生は一回
だから 命を 捨てないようにネ
あわてると つい フラフラと
お国のためなどと言われるとネ
青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい
お国は 俺たち死んだとて
ずっと後まで 残りますヨネ
失礼しましたで 終わるだけ
命のスペアは ありませんよ
青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい
2番
命を捨てて 男になれと
言われたときには ふるえましょうヨネ
そうよ あたしゃ 女で結構
女のくさったので かまいませんよ
青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい
死んで神様と いわれるよりも
生きてバカだと いわれましょうよね
きれいごと 並べられたときも
この命を 捨てないようにね
青くなって しりごみなさい
逃げなさい 隠れなさい
1番を女優の杏さんに2番を本家の加川良さんにそれぞれ謳ってもらった。

「いのちあっての物種」 勉強会 政治学者豊永郁子氏 「『ウクライナ、戦争と人間』と憲法9条」

[朝日新聞「ウクライナ 戦争度人間」を手にして講演する豊永氏]

先月、弁護士会で政治学者豊永郁子氏をお招きして「『ウクライナ、戦争と人間』と憲法9条」と題する

勉強会を行った。

下記昨年の8月12日の朝日新聞寄稿文は強烈に訴えかけてきた。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2022年7月8日の安倍晋三元首相の射殺事件によって、私たちは少なくとも一つのことを知った。銃器がいかにむごたらしく人間の体を破壊し、命を奪うかということだ。そのときウクライナのことをふと思った。このような銃撃、さらには砲撃による人間の破壊が日々起こっている。これはそれ自体がとてもよくない、恐ろしいことではないか。

朝日新聞8月12日豊永郁子寄稿文

[寄稿文は上記をクイックしてください]

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで、勉強会の企画となった。

・社会契約論を再認識した。

国家は個人と個人の生命身体を守るために個人が集合して作られもである。個人のために国家がある。国家のために個人があるのではない。

・憲法制定当時、憲法9条の意義も再確認した。

憲法9条は、本土決戦 一億総玉砕ー国民道連れ無理心中ーの反省の上に他国が日本を攻めてきた場合には白旗を上げることを戦略的意義とした。制定時の共通の理解だった筈だ。戦争放棄、武力を保持しないことの結論である。

・この脈略で(元沖縄県知事)大田さんの主張に納得。

太田さんの主張ー平和主義は現実主義である。かつて琉球国の為政者たちは薩摩藩や明治政府が攻めてきた時に白旗を揚げて、不戦によって住民を守ったわけです。それが大日本帝国下では沖縄の住人たちは、降伏することを知らない日本軍のために地上戦にかり出され、巻き込まれ4分の1が命を失った。

・被征服者の回復権という考え方

征服された人々の権利は征服されても国家が滅びても子孫に伝わる。今ではなくても臥薪嘗胆。いつか権利を回復することができる。

・国家との心中する必要はない。

民主主義制度の根幹を作ったロックもホッブズも私たちには国家と心中する必要はないといい、また国家は、国民に対して心中を求める権利はない。

・・・・・・・

私たちは、日頃、人間の命は地球よりも重いとか、インドのガンジーとかアメリカのキング牧師等の不服従主義に親和性がある。

丁度、豊永氏の主張はこれに沿うものである。

ある地方議員を偲ぶ会

先般、藤井由美子さんの偲ぶ会があった。
偲ぶ会では、全国から100名近い人が来ていた。
昨年の暮れにお亡くなりになった。

2007年に私は朝霞市の市議会議員となり、希望して民生常任委員会委員
会所属した。
そのとき、通常なら小会派から委員長とか副委員長はありえないが、
大会派の工作?の失敗?で藤井さんが委員長、副委員長は共産党の
議員がなった。なお、私は一人一人会派人権の風を名乗っていた。

丁寧な委員会運営であり、委員長みずから、副委員長と席を交替して質問
をしていた。
私が父子手当て条例は、私の手柄?のように言っているが、実は藤井さん
から父子家庭を紹介して頂き、父子家庭宅を訪問して、父子手当て条例
創設の請願を出して頂いた。

世の中に「誠実」という言葉がある。藤井さんにはもっとも当てはまる
言葉である。
議員3期12年のうち、最初の1期4年間、藤井さんと一緒に仕事ができた
ことは、議員としての誇りであり、よい思い出である。

藤井さんは、議員引退後も市民として朝霞の自治問題にも取組み、私は
その活動に敬意をもっていた。

偲ぶ会では、議員としての挨拶は私ぐらいであったが、他の人々は、環境
とか、自然とかとのの活躍ぶりを話していた。

藤井さんには、当時どぶ川の様な黒目川を、子どもたちが水浴びとか
できるような清い川に変身させた功績の方が著名なのかも知れない。

こころより、ご冥福をお祈りします。

ある休日の接見

 

窃盗事件の被疑者国選の接見をした。

住所もなく、身寄りもない50代の女性

事前に検察官と市役所の福祉課に根回しをした。

 

●●さん、貴方は、●●日の●●時に釈放の予定です。

その後、私と一緒に市役所の福祉課にいきます。

貴方はそこで生活保護を申請して下さい。

無料低額宿泊所でしばらく体を休めて下さい。

 

仕事がなくなり、多少の蓄えでネットカフェーで寝泊まり、

その後はホームレスなった。

お腹が空いて、スーパーで万引きをして捕まった。

万引きをするのも、警察につかまるのをはじめてという。

 

ホームレスになり、毎日「死のう」と

思っていたという。

生活保護と申請することは知らなかった

といっていた。

 

●●さん、健康を回復してあと●●年は働いて下さいね。

そんな私なりの激励?をして接見を終えた。

6・9埼玉会館[憲法の平和主義から 「敵基地攻撃能力論」・ウクライナ侵攻・9条改憲案を考える]

弁護士の連帯を強める埼玉の会が下記のとおり講演会を企画しまた。

ご案内します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日  時 2022(令和4)年6月9日(木曜日)

開場 午後6時00分

開演 午後6時30分(講演約2時間・質疑応答約30分)

終演 午後9時00分

場  所 埼玉県さいたま市浦和区高砂3-1-4

埼玉会館小ホール(電話048-829-2471)

講   師  清水雅彦(日本体育大学教授(憲法学)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

ある市民への追悼

昨年末、喪中の連絡を頂いた。
Aさんがお亡くなりになったことを知った。83歳だった。
朝霞のまちづくりの問題である、基地跡地利用問題は、今から約20年前の2003年ころより、始まっており、そうするとAさんは、定年後から15年以上ズート朝霞の問題について市民の一人として積極的に参加してきたことになる。なお、現役時代は大手商社の子会社の社長だったといっていた。
基地跡地の関係で、私は2007年に市議会議員になった。議員になったが、文字通り一人会派であり、2人以上ではないと会派は組ないとされていたので、議員活動が制限されていた。
それを打開する方法が、請願権の行使である。請願を出すと賛成意見で政策提言ができる。
Aさんが請願者になり、私が紹介議員となって、約40件ばかりの請願を出した。
その中で朝霞市に対して「父子手当条例創設」の請願を出し、可決され、全国で3番目、埼玉県ではじめての条例が制定されたことは思い出深いものである。
(下記の書面提出の写真は、請願を提出したところである。)
まず議員として手がけたのが、全員協議会と代表者会議の公開である。当時、これらの会議は非公開であった。当時地方自治法のどこにも全員協議会、代表者会議の名前はない。いわは闇会議である。
会議を公開して欲しいと議会宛ての請願を出した。多数決で採択された。
(下記の傍聴人の写真は、全員協議会はじめて市民に公開された写真である。Aさんらは大変喜んでいた。)
全会一致ではなく、反対者がいる。この問題が多数決であることが、朝霞市の民主主義の限界がある。
いずれにしても、議会改革の段一歩が実現したのである。
ところで、Aさんほど、市議会の本会議、各委員会を傍聴した人はいない。この当時は、Aさんらは、議会ウオッチィングというミニコミを作っており、議員の採点簿が掲載されていた。
議員の中には、辛口の採点簿について、多少気にしていたようだ。
その後、体調を悪くされた後も、回復後は、車椅子で議会の傍聴をしていた。その情熱は、議員の全員が感動したはずである。
基地跡地利用問題は、市民の粘りづよい運動があり、公務員宿舎建設は挫折し、公園ができた。
その公園の名称に、Aさんは応募していた。Aさんらの「朝霞の森」と決まった。
(下記のアドバルーンの写真は、基地跡地の公園の開演の写真である。)
Aさんらが来賓として式典にいらっしゃっていた。こころある朝霞市民は、基地跡地の利用問題を通じて、民主主義について考え、実践をした。その成果の一つが
「朝霞の森」である。
Aさんは、その他、まちづくりNPOを独力で立ち上げたと聞いているがその詳細は知らない。
私は、議員を2019年12月に引退し、その後「楽しい法教育研究会」を立ち上げた。
Aさんに声をお掛けすると、ご家族に会場まで送ってもらっていた。
私はAさんから、朝霞市のまちづくりのさまざまな提言を頂いていた。真摯にこのまちの改革を考えていた。
本来ならば、こうした情熱のある人が市政に参画する制度があったなら、もっともっとAさんは活躍できたと思う。
しかし、私の3期12年の議員活動の中で、私には、Aさんは輝いてみえた。
追伸
議員引退後、Aさんがお元気なとき、市長選挙を気にしていた。昨年1月になって、Aさん立候補を連絡したかったが、入院中で、叶わなかった。