ある道徳の授業

この週末、警察署で接見をした。

被疑者接見だ。

会社の数日分の給料と

下着等を差し入れた。

前科がある50代の人で、今回も薬物事犯だ。

私が話しやすいと思ったことか、いろいろ話しかけてきた。

その中で「もう、死にたい」という。

「その気持ちはわかる、人生は保育園とか幼稚園時代以外は楽しものではない。

いずれは、みんな天命を全うする。その前に何かいいことしてみてはどうか。」

と対話をする。

被疑者は犯罪を犯してこれまで家族に迷惑をかけてきたようた。

約45分間の接見だった。

中学途中まで、高校1年中退

その後の出来事など、

右に行く途、左に行く途

選択の自由があった筈だ。

左がキリギリス、右がアリ

私たちは、どうしても、キリギリスの途を選んでしまいがちである。

今度は、アリの途を選択して欲しいと願って、接見を終えた。

個人の尊厳と共生社会の実現

(講演会メモより)

さて、今日は皆さんと一緒に、個人の尊厳と共生社会の実現という視点のお話をしたいと思います。

この社会の最小の単位は、一人の人間の個人の尊厳です。社会には個人の尊厳がそれぞれ存在するので、共生社会の実現が必要になってきます。共生社会とは、一人一人に価値を認め、それぞれが社会の構成員になることです。無人島に一人で暮らすならば、人権は必要ありません。人間が二人以上存在して、社会ができます。そして、その社会の一人一人を尊重するということが、共生社会の実現ということです。

共生社会というのを認める根拠は何かと言うと、人類の歴史が、人間それぞれに価値があり社会構成員として大切だと決めたことです。人類の理性の到達点です。例えば、1+1=2というような証明の結果ではなく、共生社会の実現が社会の価値として最も大切だと決めたのです。

では、どうすれば共生社会が実現できるのでしょうか。私は次のように考えています。

① 他人を丸ごと認めること

背の高い人、低い人、太っている人、痩せている人、障害を持っている人、子ども、高齢者、この世に命のある人全てに価値を認めると言うことです。

② 傾聴と対話をする能力

友達を100人作る能力よりも、1000人の他人と会話をする能力の方が、価値があります。小学校に入ったら友達が100人できるかなという童謡がありましたね。100人の友達を作るよりも、自分が苦手とする人と話すことができる能力の方が、価値があるのです。そういう人が共生社会を実現する力となるのです。皆さんが会社に入って仕事をする場合において会社が求めることは、他人と対話をする能力があることです。このような人は、社会人になってもきっと出世をすることは間違いないと思います。

③ 嫌われる勇気

私たちは、様々な社会に属しています。社会には社会の圧力があります。そこに問題があっても、黙っていることもあると思います。しかしながら、その社会を良くするためには、嫌われても発言する勇気が必要です。正しいことを主張しても嫌われる勇気です。私たちは、より高い共生社会の実現を目指しているのだからです。

友達がいじめられても、黙って見過ごしていることもあるかもしれません。しかし、共生社会の実現のために、少なくとも先生などにチクる勇気が必要です。チクるという言葉は語感が悪いので、公益通報と言いましょうか。共生社会を実現するには、嫌われる勇気を持っている人がたくさんいることが必要です。

④ 大きな財産から小さな財産への譲歩

たくさん財産を持っている人には、たくさん税金を払ってもらい、財産の少ない人に譲歩するのです。大人は子どもに、健常者は障害を持っている人に譲歩するのです。

共生社会の基本単位たる個人の尊厳は、実は、この日本の在り方の基本原則です。日本は、個人の尊厳すなわち、基本的人権を尊重し、その延長として平和主義を掲げています。人の生命を大切にする政策を、国内ばかりか、国際紛争を解決する手段としても、武力を用いず平和的な話し合いで解決をするという原則です。

 そして、さらに最も重要なことは、皆さんがこの社会の主人公であるということです。私たち一人ひとりに主権があります。

私たちがこの社会の在り方を決めることができるということです。これを国民主権といいます。18歳になられた皆さんには、当然にこの社会の在り方を決める権利があります。そして、近いうちに18歳になる皆さんにも、直ぐそこに権利があります。

皆さんの立場で、こうあって欲しい、あああって欲しいと考え、この地域や国が、今日よりも明日の方がもっと良くなるために実践するのが、国民主権です。

個人の尊厳と共生社会の実現

昨日、県内の定時制高校で個人の尊厳と共生社会の実現と題して、話す機会があった。担当の教職員の話しでは、さまざまな生徒がいると言っておられた。

壇上から瞳を輝かせていた生徒さんが印象深い。

生徒のみなさんが、自分の生命を大切して、余力を他人のためにして欲しいと思っている。

著名な道徳の教材を使って、共生社会の実現の工夫のお話をした。
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来年度、川口に夜間中学が開設する。これまで中学は当然に卒業になり、もう一度勉強をする機会は定時制高校しかなかった。しかし、高校の授業のレベルは高い。もう一度一から勉強したい人に、夜間中学は吉報である。

しかし、朝霞から通うには、距離が心配になる。

私を聞いてくれる生徒の実態は知らないが、さまざまな体験をしてきた人だと思って、今,私が16年間引きこもっている人を一歩、一歩を手を差し伸べている話しをした。

生徒の中では、仲間との関係で難儀をしている人もいうことを想定して

共生社会では、100人友だちを作るよりも1000人の人と話せる能力の方が大切であるとを強調した。

(後日、メモをこのプロクにもアップしたい。)

 

9月議会報告 請願の採否の際、自民党 自衛隊明記案の危険性を指摘

自民党というより、安倍首相の主導する自民党の自衛隊明記案は、著しい危険性をもっている。

下記に憲法9条と自民党の自衛隊明記案を記載した。

自衛隊を明記に留まらず、日本を戦争をする国に変えてしまう改正案である。

「必要な自衛の措置を妨げない」といって、集団的自衛権、つまり他国と戦争をすることができるというように憲法を変えるのである。

自民党自衛隊明記案

 

その他、法律とか国会の承認といっているが、憲法の改正を経ないで、自衛隊という名の組織は国会の多数で何でもできることになる。

安部首相は、自衛隊の違憲、合憲の論争に終止符を打つために憲法の改正をしたいといっているが、

集団的自衛権の行使を全面的に認める憲法の改正案になっている。

 

 

9月議会報告 超マンモス校八小学校、6小学校

9月議会では、市内の超マンモス校問題を取り上げた。

第八小学校が超過密校になっている。

八小の人から、運動会は、立ち見の状態だといっていたので、9月22日に出かけてみた。

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こんな状況だった。

教育委員会の職員から児童数の統計資料を入手した。市内の小学校が超マンモス校化している。

少なくとも、市内で小学校が1校分足りない。

超過密校が現在は八小、直に六小も、本当にこれでいいのだろうか。

子どもたちにその児童数てあった運動場の広さが必要であることは、わかっていても、可視化されたり、行政の課題になっていない。

以前、保育園の園庭問題が論じられたきた。待機児童が問題の解決のために、今では園にはがなくてもいいことになった。

小学校は校庭がないことは、あり得ないが、およそ校庭があればいい。広さは問わないことなのだろうか。

あるとき、朝霞市は都会でもなく、いなかでもないといわれた。

だったら、せめて小学校くらいは、適正規模以上であって貰いたい。