信州の森の中を散策しているような
11日(土)、12(日)と上記の写真展があった。
二日間で約1000人の入場者があったそうだ。
上記写真展は、5月13日に現地見学会のときの写真を持ち寄ったものである。
当日、初めて、入った。
信州の山の中を散策している感じであった。
こんな中を散歩したら、森林浴が出来て、みんな健康になると思う。
こんな中でテントを張って、地域の子供たちと交流できたらいいね。
こんな中で、森林音楽会ができたら、面白いだろうな。
このなかには、今たぬきの親子が住んでいるそうだ。
大鷹が飛来するそうだ。
かぶと虫もいるだろうな。
蛍はどうかな。
こんなことを話しながら、またひとり物思いにふけりながら散策した。
散策の森ーいいもんだ。
印象に残った植物は
野イチゴだった。
また、この中に米軍の施設もある。
ベトナム戦争では、
野戦病院があったそうである。
価値の視点の意義
市民の多くは、この自然とか
歴史のいわば負の遺産に
かけがえのない価値を感じている。
市長はどうであろうか。
この土地は、荒れ地か。
廃屋か。
天然の自然の樹木等の再生地か。
歴史の遺産か。
明治になって時代遅れとして神社仏閣を壊したり、城を壊したりした。
東京オリンピックを契機に伝統的な木造建築が解体され、鉄筋コウクリート
の建築が伝統建築を凌駕するようになった。
まちづくりは壊すこと、破壊か。
何もしない、
するとしても何もしないような様相でする
まちづくりは、
ないだろうか。
ある都市建築家から教わったことがある。
何もしないこともまちづくりであると
高度経済のもと
多くの古い町並みがなくなった。
他方、京都、金沢、(4月の講演で五十嵐先生の教わったが、)真鶴町
何もしないこと。意図的に保存することまちの代表だ。
ヨーロッパでは、百年、あるいは1000年単位でまちを保存している。
古いまち、古い家に住むことを誇りにしている。
一旦なくなった緑は、元にもどらない。
基地跡地の緑、古い建物に価値を感じるのは
市民だけか。
(いずれにしても
実行委員会のみなさん
ありがとうございました。
こころ豊かになった二日間でした。)