個人の尊厳と共生社会の実現
(講演会メモより)
さて、今日は皆さんと一緒に、個人の尊厳と共生社会の実現という視点のお話をしたいと思います。
この社会の最小の単位は、一人の人間の個人の尊厳です。社会には個人の尊厳がそれぞれ存在するので、共生社会の実現が必要になってきます。共生社会とは、一人一人に価値を認め、それぞれが社会の構成員になることです。無人島に一人で暮らすならば、人権は必要ありません。人間が二人以上存在して、社会ができます。そして、その社会の一人一人を尊重するということが、共生社会の実現ということです。
共生社会というのを認める根拠は何かと言うと、人類の歴史が、人間それぞれに価値があり社会構成員として大切だと決めたことです。人類の理性の到達点です。例えば、1+1=2というような証明の結果ではなく、共生社会の実現が社会の価値として最も大切だと決めたのです。
では、どうすれば共生社会が実現できるのでしょうか。私は次のように考えています。
① 他人を丸ごと認めること
背の高い人、低い人、太っている人、痩せている人、障害を持っている人、子ども、高齢者、この世に命のある人全てに価値を認めると言うことです。
② 傾聴と対話をする能力
友達を100人作る能力よりも、1000人の他人と会話をする能力の方が、価値があります。小学校に入ったら友達が100人できるかなという童謡がありましたね。100人の友達を作るよりも、自分が苦手とする人と話すことができる能力の方が、価値があるのです。そういう人が共生社会を実現する力となるのです。皆さんが会社に入って仕事をする場合において会社が求めることは、他人と対話をする能力があることです。このような人は、社会人になってもきっと出世をすることは間違いないと思います。
③ 嫌われる勇気
私たちは、様々な社会に属しています。社会には社会の圧力があります。そこに問題があっても、黙っていることもあると思います。しかしながら、その社会を良くするためには、嫌われても発言する勇気が必要です。正しいことを主張しても嫌われる勇気です。私たちは、より高い共生社会の実現を目指しているのだからです。
友達がいじめられても、黙って見過ごしていることもあるかもしれません。しかし、共生社会の実現のために、少なくとも先生などにチクる勇気が必要です。チクるという言葉は語感が悪いので、公益通報と言いましょうか。共生社会を実現するには、嫌われる勇気を持っている人がたくさんいることが必要です。
④ 大きな財産から小さな財産への譲歩
たくさん財産を持っている人には、たくさん税金を払ってもらい、財産の少ない人に譲歩するのです。大人は子どもに、健常者は障害を持っている人に譲歩するのです。
共生社会の基本単位たる個人の尊厳は、実は、この日本の在り方の基本原則です。日本は、個人の尊厳すなわち、基本的人権を尊重し、その延長として平和主義を掲げています。人の生命を大切にする政策を、国内ばかりか、国際紛争を解決する手段としても、武力を用いず平和的な話し合いで解決をするという原則です。
そして、さらに最も重要なことは、皆さんがこの社会の主人公であるということです。私たち一人ひとりに主権があります。
私たちがこの社会の在り方を決めることができるということです。これを国民主権といいます。18歳になられた皆さんには、当然にこの社会の在り方を決める権利があります。そして、近いうちに18歳になる皆さんにも、直ぐそこに権利があります。
皆さんの立場で、こうあって欲しい、あああって欲しいと考え、この地域や国が、今日よりも明日の方がもっと良くなるために実践するのが、国民主権です。