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続「絵画を鑑賞させない負担付き寄附は違法財政支出の疑いがある」住民監査請求

先日(11月4日)に住民監査請求において、意見陳述を求められた。 論点は3つあることを陳述した。

1 本件負担は、贈与の価値を上回る。 市民が絵画を観ることができない。観るためには山形県東根市に行かなければならない。 約4時間の1万数千円の旅行となる。 当初、東根市は寄附者に対し、運搬費等は負担してもよいと言っていたという。ならば、わざわざ朝霞市が負担する理由はない。 どうしても、絵画の寄附について、朝霞市の名前を形だけでも使いたいならば、寄附を受けた朝霞市は譲与先の東根市に対し絵画をあげるから、運搬費を負担して欲し   いと申し出れは、当然に東根市は承諾するはずである。

2 負担付寄附の受ける政策が、いつ、どこで,誰か決めたのか、不明である。 このような説明責任ができない不透明が政策決定は不当、違法である。 今、東京都の豊洲市場問題がある。その論点は、「いつ」、「だれが」、「どこで」決まっていた「盛り土」を止めたか。明らかなかったことである。 本会議で今回の負担付寄附について質問しても、教育環境常任委員会で質問しても「わかりません」という回答だ。 朝霞市の政策決定が、「いつ」、「だれが」、「どこで」決めたのか、わからないのでいのだろうか。 あるいきは本当はわかっているが、明らかにできない事情があるのではないか、勘繰ってしまうのは、私だけであろうか。

3 地方自治法96条1項9号の議決は市長の負担付寄附の責任を免れない。 負担付寄附については、市議会の同意を必要としている。同意をしたとしても、負担付寄附の執行について財政支出を伴う。 したがって、財政支出として違法不当の問題は依然になくならない。

・・・・・

以上なことなどを意見陳述した。 監査委員の適正な職務執行を求める。

「絵画を鑑賞させない負担付き寄附は違法財政支出の疑いがある」住民監査請求

広報あさか11号の議会だよりに次の記事を載せていただいた。

[絵画を鑑賞させない負担付き寄附は違法財政支出の疑いがある]
小山香議員 絵画の負担付きの寄附を受けることについてという議案は、寄附者から朝霞市が時価1千万円と聞いている絵画の寄附を受けても、市民は絵画を鑑賞できない。絵画は朝霞市が絵画の運搬費等を負担するだけで、寄附者から朝霞市を素通りして東根に譲与される。朝霞市は13万市民に絵画を見せず、見たければ東根市に行きなさいという。このような負担付き寄附は地方自治法の想定外、濫用、逸脱であり、違法な財政支出になる疑いがある。いかがであるか。
市民環境部長 今回、寄附を受けるに当たり、寄附者のご意向が東根市へということが条件です。また、本年11月3日に予定されています東根市の美術館の開館に合わせての展示となりますので、市民に見ていただくいとまがないということです。今回の寄附はあくまでも寄附者のご意向によって東根市に譲与するものですので、市民に見せることを前提として朝霞市が受けるものではありません。

・・・・・・

朝霞市が絵画の寄附を受けても、市民に公開せずに、朝霞市が運送費等を負担して、直ちに山形県東根市に譲与するというのは、違法な負担である。

この件について,9月29日朝霞市監査委員会に住民監査請求を行った。

11月4日午後1時より、公開の場所での意見陳述の機会が与えられた。関心のある方は傍聴にどうぞ!

 

政策決定の不透明ー負担付寄附

9月議会で、反対1、賛成22の審議があった。

下記の絵画に関するものだ。

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この絵画は、縦151㎝×横182㎝号数100号である。

作者は、小杉小二郎

2006年の作であり、題名は回想という。

この絵画は朝霞市に寄附されながら、朝霞市民は観ることはできない。

なぜか、朝霞市が東根市に譲与することを負担とする寄附であるからである。

本会議で、この負担付寄附について、いつ、どこで、だれが決めたのかとの

質問について、担当部長はわからないという答弁だ。

審議する教育環境常任委員会でも担当課長は、わからないという答弁だ。

市議会に提案される議案について、提案する側がわからないということはあるのだろうか。

あり得ない。

おそらく、いつ、どこで、だれが決めたのか、知っているが、答えられないのが真相ではないか。

問題は、部長も課長もだれかを意識して「答えられない」といっていると推察するのは、私だけであろうか。

 

9月議会一般質問

9月議会の私の一般質問だ。

1 主権者教育と子ども議会の役割について

2 子どもの権利条約の意見表明権について

3 部活動の全国大会の時期について

4 給食のアレルギー非対応と給食費について

5 東京オリンピック開催に向けた受動喫煙防止について

6 高齢者終末期意思決定支援について

7 朝霞駅東口広場駐車場の管理について

8 旧猪苗代湖自然の家の売却について

 

法教育の実践(1本締め)

平成国際大学での子ども大学の授業の一つとして法教育の実践を行った。

私たちの法教育は話し合い(傾聴と対話)を行って、問題とか課題の解決を模索することである。

今回は、参加者から、次のテーマを選んでもらった。

なぜ、クラス替えをするの?

なぜ、登校班があるの?

なぜ、学校ではシャープペンシルが使用禁止なの?

20名の小学生4年生から6年生の子どもたちが、上記のテーマに別れて問題点を話し合った。

話し合いの終了後、最後に、

「ヨー、ポン」と

参加者全員で一本締めをした。

この日参加した20名の子どもたちは、私たちの法教育の傾聴と対話によって、どんな体験をしたのだろうか。

みんな楽しかったといっていた。

平成国際大学28・8・20

これで、今年の夏も終わりの感がする。

 

 

被告人を懲役○年○月に処す。この裁判確定の日から○年間その執行を猶予する。

今日、埼玉地方裁判所の刑事部に上記のとおり、判決があった。

事件は、住居侵入・窃盗事犯である。

居酒屋に、忍び込む際にドアのガラスを破り

約500円を窃取したという事案である。

被告人(Rさんと呼ぼう)は、ある国からの日本に来た難民である。

問題は、母国語が少数言語であり、通訳人の確保に難儀をした。

私は、遅くとも48時間以内に接見しなければならないと思っていた。

通訳人がいなかった。

そこで自腹を切って、紹介業者に紹介料を支払って

少数言語の教師を探しだした。

数回接見をしていると被告人はフランス語がしゃべれることがわかった。

地元でフランス人で市内の小学校、中学校に通った青年がいた。

このフランス人にも通訳をしてもらった。

ある国の大使館から、Rさんに対して照会があった。

この場合、弁護人の態度は、慎重を要する。

ある国からの難民である。

その照会が真に人権の考慮の照会なのか、

ある国に対して好ましくないものとして、Rさんを捉え、その立場での照会か、どうか不明である。

結局、Rさんと接見し、本人は大使館の照会に答えることに心配があるというので、

結局、弁護人として、私が被告人を弁護しているか、どうかを含め、

「弁護士は、ある人の弁護をしているかどうかを含め個人情報について回答しない。」という紋切りの回答をした。

この事件では主に二つのことをした。

一つは、示談の試みてある。

Rさんはお金がない。私が負担するつもりである。

(ある弁護士は、刑事弁護で示談という情状の作出に、当然に弁護料の一部(1万円程度まで)

示談をするのは当然であるといっているのを私もまねて実践しているに過ぎない。)

ガラスの修復はかなりの弁償金になることを心配して、

被害者の経営者におそるおそる、示談を提案したところ、

保険に入っており、保険金をもらっていのので、いらないと回答された。

いらないといわれても、何らの書面がないのは、困るので、

わずかでもいいので、慰謝料を払いたいといっても拒絶された。

むしろ、今では被告人に対し処罰の意思もないとも回答してくれた。

そこで被害者の被害回復の状況と処罰の意思がないことを報告書にまとめて裁判に提出した。

判決では、執行猶予の一つとして報告書を引用して示談が成立していることも挙げていた。

他の一つは,難民支援団体に対する支援要請である。

団体の職員が裁判の証人どなってくれて、しかも、緊急宿泊の配慮もしてくれるというのである。

裁判官もこれで安心をしたのか、被告人に対し執行猶予の判決を出してくれた。

釈放されたRさんと一緒に警察にいって所持品を受け取り、その後のことをは団体の職員に任せた。

この事件は文字通り身を粉にして担当した事件である。

Rさんは、ある国のレスリングの元チャンピオンといっていた。

私は必ず更生できると信じているし、さらには日本で難民認定になることを願っている。

Rさんは、警察署では、留置係の担当者から「Congratulation」といわれていた。

私も、日本語で「おめでとう」といったら

Rさんは、「どうもありがとうございます。」たどたどしく答えてくれた。

Rさんと難民支援団体の職員を夕方、ある駅付近まで車に乗せ、

別れるとき、固い握手を何回も繰り返した。

あーよかった!

Rさんとは、被疑者段階で2回、起訴後4回合計6回接見した。言葉の不自由な留置場で、
私と通訳人たちとの接見が唯一のこころの安らぎになったのかもしれない。

主権者教育(5)ーおわりにー

第4 おわりに
これまで、政治は教育現場でタブーとされてきた。しかしながら、選挙年齢の18歳の引き下げにより状況が変わった。政治は教育現場で正規なものと扱われることになった。しかしながら、実は、小さな社会の学級活動そのものが、政治なのである。これからはより強い理由により、どんな問題も話し合いのテーマにすることができる。校則も取り上げられるだろう。学校教育で主権者教育を実践するのであれば、子どもたちの身近な疑問、問題を一つずつ取り上げ、その解決の指針として「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざすべきである。
これまでの法教育、主権者教育では、模擬や練習をさせることが授業の一つになっており、リアリティな現実感に欠けている。これでよいのだろうか。
子どもたちが毎日生活している学級、学校は、模擬でも練習でもない。現実の生きた小さな社会である。ひとりひとりの子どもは個人として尊重され、共に生きる社会の一員である。弁護士は市民や子どもに寄り添う在野の法律家である。市民や子どもと手を携えて対話と傾聴による合意形成をめざし、個人の尊厳に基づく共生社会の実現をめざして行くべきだ。
学級活動、児童会・生徒会活動での主権者教育により、子どもたちに社会は変えられるという意識が形成されれば、若者の政治に対する関心は大きくなるだろう。
小さな社会の主権者教育の実践が、やがて大きな社会の改革に寄与することになることを期待する。

主権者教育(4)ー地域における主権者教育ー

第3 地域における主権者教育
  1 学校の外にある社会は地域である。市町村という基礎自治体は、教育・文化、社会福祉、保健衛生、公営事業、公共事業、防犯・安全などの住民に身近な仕事をしている。国の政治は間接民主制であるのに対し、地方自治は直接民主制機能があり、地方自治は民主主義の学校と言われている。さらに地方自治体が望めば、条例や自治体の要綱によって、大人のみならず子どもも地方政治に参加できるような民主主義の学校(機関)を作ることができる。
地方自治体の中には、自治基本条例、まちづくり条例、さらには子どものまちづくり条例や自治体要綱などによって、子どもの地方政治参加を図っている所もある。1994(平成6)年の子どもの権利条約批准以降、同条約上の子どもの参加する権利について、自治体が子どもの権利条例を制定し、子どもの参加する権利を受けているケースもある(注1)。
しかし、全体としてみると、現実には大人の住民の地方自治への参加の拡充はそれほどなされておらず、まして子どもをまちづくりの参加に組み入れているのは少数である。多くの自治体では、大人が子どもの気持ちを推察して子どもに関する施策を行っている。現状では、地方自治は民主主義の学校といわれながら、その機能を十分に果たしていない。
2  多くの自治体は、教育目的から子ども議会を行っている(注2)。しかしながら本来、子ども議会は模擬議会であるべきではなく、まちづくり目的の意義を持たせるべきである。その上で、子ども議会の議員の選任を各学校での公選制にし、立候補する生徒は自分の政策を訴えて立候補させるとよい。そして、首長側が子ども議会に諮問する機会を設ける等、子ども議会を1日だけではなく年間通じて子どもたちが恒常的に話し合うまちづくりの機関と位置づけるべきである。
3 子どもたちが容易にまちづくりに参加できる手段として憲法16条の請願がある。文科省の教材では、地方議会に対する模擬請願を指導している(注3)。子どもたちも、まちで生活する住民として、学校、児童館、公民館、図書館、道路などに関心と意見があるはずである。現実問題として、請願には紹介議員が必要というハードルがあるが、子どもたちが請願を出せば、議員たちも新鮮な気持ちで子どもたちと向き合い、まちづくりの貴重な意見として賛同することがあるだろう。
   実際、2005(平成17)年静岡市内の中学生が市議会に「歩きタバコ禁止条例」の制定に関する請願を提出し、「歩きたばこはとても迷惑です。条例で禁止してください」という請願の趣旨を説明し、市議会で審議され、全会一致で採択され、翌2006(平成18)年6月「歩きタバコ禁止条例」が制定された、という例がある(注4)。
3 現在、多くの地方議会の実態を見てみると、地方政治は首長、議員が共に公選される二元代表制であるのに、国政の議院内閣制と同様、会派(建前としては政策上のグループ)があり、会派によっては、与党会派と称して首長を支えている。このため多くの地方議会では、首長提案の議案は、審議する前に賛否の結論は決まっているようにみえる。
さらには、議員の見せ場となる筈の一般質問において、質問する議員と答弁する市長等の執行者側がそれぞれに対応する原稿を読んでいる。この実態をみて、元総務大臣が地方議会の本会議を学芸会とか八百長議会と揶揄している。議員同士の自由討論すらない。
子どもたちがこのような地方議会の実情を知ったとき、学級会の方がより活発な議論があり、民主的だと思ってしまうかもしれない。また、地方自治は民主主義の学校といわれながら、それは名ばかりで、市民から遠い存在になっていることに気づくかもしれない。しかしながら、子どもたちが、現実の地方自治の実態を批判的にみることも一つの主権者教育として意味がないわけではない。そんな子どもたちが将来、地方自治の変革者、民主主義の担い手となってほしいと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注1) 1994(平成6)年の子どもの権利条約批准後、子どもの権利条例が、条約の理念に基づき各自治体によって制定されてきた。一時子どもの権利条例の制定が注目をあびてきたが、最近では子どもの権利条例中の子どもの意見表明権などで、子どもがわがままになるとして、同条例制定の動きがあると組織的に阻止されることがある。これは、人権は相互に人権の存在を認め、調整するものだという理解を欠いていることによる。このような認識を持っている市民に対し、弁護士として、人権は我が儘を醸成するのではなく、共生社会を醸成するものであることを啓蒙する必要がある。
(注2)なお、総務省・文科省教材「私たちが拓く日本の未来」では模擬議会を取り上げている(78頁)。
(注3)同上72頁
(注4) 静岡市のホームページよりー 2005(平成17)年11月、市内中学生を請願代表者らとする静岡市「歩きタバコ禁止条例」の制定に関する請願が静岡市議会に提出され、審議の結果、全会一致で採択されました。静岡市は、これを受け翌2006(平成18)年1月、市民生活部市民生活課を事務局として、静岡市歩きたばこ等禁止条例検討委員会及び同作業部会を庁内に設置し、庁内関係課とともに条例の制定に向け検討を開始しました。同年3月には、市民意見の募集や実態調査を行い、これらの結果を踏まえた上で、同年6月の市議会に「静岡市路上喫煙による被害等の防止に関する条例」を上程し、可決されました。なお、請願署名者は約2万4000人とのこと。

主権者教育(3)―児童会・生徒会活動からの主権者教育―

第2 児童会・生徒会活動からの主権者教育
1 次に、学級より少し大きな社会として学校の児童会・生徒会という社会 があり、これも主権者教育の場としてふさわしい(注1)。地方自治は民主主義の学校といわれるが、学校の児童会・生徒会は民主主義の学校そのものだ。文科省も特別活動の児童会・生徒会の目標につき、前述した学級活動同様「学校生活づくりに参画し諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度を育てる」としている。したがって、前述したようにこれは「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざすと言い換えることができる。
2 ところで、小学校の学級活動や児童会生徒会活動によって主権者意識が醸成されてくると、中学校・高等学校に進学した際、小学校のときは自由だった個人の私的領域まで規制する校則、生徒心得(以下「校則等」という。)などのきまりに疑問を持つ生徒が出てくるかもしれない。なぜ、校則等が個人の私的領域まで入り込んで拘束するのか、校則等による拘束がなくても「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」はできるのではないか、という疑問である。
文科省も子どもたちの校則等の疑問を予想してか、中学校・高等学校 の各学習指導要領の解説には、次のように述べている。
「生徒が充実した学校生活を送るためには、学校生活における規    律が必要であるとともに、生徒が進んでその規律を守ることが大切である。規律は、とかく拘束的なもののように受け取られやすいが、むしろ豊かな充実した集団生活を営むためにこそ必要である」(注2)。
しかしながら、上記の解説は子どもたちの疑問の答えにならない。生徒 が、規律の根拠となる校則等について、意見を述べたり変更を求めたりできることに触れていない。子どもたちは、「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざす学級活動によって、きまりには立法事実が必要であること、子どもの権利条約に基づく意見を表明する権利があることを学び実践している。
したがって、主権者教育の実践においては、まず、当然に生徒に校 則等に意見を述べる権利があること、校則等について立法事実が必要であることを確認することが必要である。そして、生徒と教師らとで立法事実を検討した上で、校則等以外に目的達成の手段がないかなどを考慮し、対話と傾聴により合意形成をめざす必要がある。この結果、校則等の立法事実の存在が明確になったり、あるいは反対に立法事実がないことが明らかになったり、仮に立法事実があっても廃止、修正などがあるかもしれない。この過程はまさに主権者教育そのものである。さらに仮に校則等を学校内の最高法規だと例えるとしても、国の最高法規の憲法にも改正手続がある。したがって、生徒と教師とが対話と傾聴による合意形成によって、校則等に改正手続を設けることは、主権者教育の実践としての意義があることであろう(注3)。また、子どもたちの校則等に関するこの経験が、より主権者意識を醸成することは間違いない。
3 若者たちが政治とか選挙に関心がないと、言われている。その原因の 一つとして、これまで校則等についてタブー視してきたこともあるのではないか。学校教育の正規の授業内容として主権者教育が組み込まれた以上、議論にタブーは存在しない筈である。子どもたちに児童会・生徒会活動を通じてどんな疑問でも自由に討論し、表現の自由の大切さを実感させることにより、社会は変えられるという主権者意識が形成されていくのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注1) 小学校、中学校、高等学校の名称の態様は下記のとおりである。
      
小学校 中学校 高等学校
学級活動 学級活動 ホームルーム活動
児童会 生徒会 生徒会

(注2)文科省中学校学習指導要領解説特別活動編60頁、同高等学校46頁。
(注3)なお、校則等の改正について、前掲高等学校解説特別活動編は「生徒会においては、このようなきまり(校則、生徒心得、生徒間の申し合わせ。筆者注)について考えたり、改善したり」(46頁)という程度の消極的記述に留まる。

主権者教育(2)―学級活動からの主権者教育―

第1 学級活動からの主権者教育
 1 子どもたちが最初に出会う社会は学級といってよいだろう。それは、小さな市民社会といってもよい。子どもたちはこの小さな社会で一日の大半を過ごす。
この小さな社会にも人権の侵害、トラブルの発生、さらには子どもと小さな社会の「きまり」との対立もあるだろう。これらは小さな社会の生理現象である。学級という小さな社会の生活上の諸問題に対して子どもたちは主体的にこの小さな社会の政治にかかわり、「人は生まれながら自由であり、自由とは他者との共生における自由である」ことを体験していく。学級は、子どもたちが自由、独立、平等の市民として他の子どもと共に生きる社会なのである。

2 文科省も学級活動が主権者教育の面を有していることから、学級活動について、積極的に教育課程の教科外活動として特別活動の一つと位置づけ、学級活動の目標を「望ましい人間関係を形成し、集団の一員として学級や学校におけるよりよい生活づくりに参画し、諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度や健全な生活態度を育てる」としている(注1)。また、上記の「学級や学校におけるよりよい生活づくりに参画・・」は、子どもの権利条約12条子どもの意見表明権(注2)に基づくものとも評価できる。
以上のとおり学級活動の目標及び内容は、「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざすと言い換えることができる。このように教育基本法に基づく学級活動の目標及び内容は、弁護士の使命である「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」(弁護士法1条1項)と一致する。
この小さな社会における政治の目標は、子どもたちが人権を意識し ながら共生し、それぞれが民主社会の担い手になることである。子どもたちは、教師から年齢に対応した助言、指導を受け、小さな社会における問題や課題を解決していくのである。
例えば、子ども同士が他の子どもと共生するために「きまり」を作るとする。子どもたちはそのために対話と傾聴が必要であること、人権を侵害する「きまり」は多数決でも作ることができないこと、「きまり」を作るには立法事実が必要であること、作られた「きまり」でも立法事実のない「きまり」は変えることができることなどを学ぶ(注3)。
子どもたちは、小さな社会において、「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」をめざすことを念頭において諸問題を解決していくのである。これらはまさしく主権者教育そのものである。小さな社会は、日本国憲法の精神に基づく教育基本法に支えられており、法の支配、立憲主義が存在しているのである。
3 この学級活動に弁護士が関わる意義がある。そもそも、教師が子どもたちの疑問について、「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」を踏まえてアドバイスをすることは困難であると思われる。教師は、現在の教員養成の履修科目には日本国憲法及び教育基本法があるものの専ら座学中心で時間も僅かであり、いわば人権問題対処の体験が弁護士ほど豊富ではないからである。他方、弁護士は日常的に在野の法律家として未知の問題を解決しており、人権に対する意識も高い。したがって、弁護士ならば「個人の尊厳に基づく共生社会の実現」を念頭に、子どもたちのどんな疑問に対しても解決する指針をアドバイスすることが可能であり、これこそが弁護士が学級活動に関わる意義と言える。
下記のテーマは埼玉弁護士会人権のための法教育委員会がさいたま市内の小学校で行った法教育実践のテーマの一部である。なお、テーマは、教師が子どもに今抱えているトラブル、疑問などに関するアンケートを元に作成される。
① なぜ、学校でシャープペンが使用禁止なのか。
② 給食にグラタンが食べたい。
③ 通学班を止めてほしい。
④ なせ、学校にランドセルじゃないといけないのか。
⑤ 悪口を言い、いやな人がいて、けんかや言い合いになる。
⑥ いじめる人を注意できない。
⑦ なぜ、学校に通ったり勉強したりするか。
⑧ 自分を変えたい。
⑨ トイレの臭いが教室まで入ってくる。
実践の際は、各テーマにつき子ども4~6名の班をつくり、各班に弁護士が1名以上つく形で話し合いを行う。
例えば、①シャープペンのテーマは、大半の学校で子どもたちが提案するテーマである。しかしながら、どこの学校の教師もこれを話し合いのテーマに取り上げることに消極的である。当然に決まっている「きまり」について、子どもが変えたいといったらどのように対応していいのか懸念されているのである。
事前の打ち合わせにおいて、弁護士が教師に対しシャープペンを禁止 する根拠を尋ねると「シャープペンでは文字を留める、跳ねるができない」「芯がよく折れる」「シャーシプペンは値段の高いものもある」等の回答を得た。これらを踏まえ、芯が折れないシャープペンで、値段が高くないものならば、国語以外の授業で禁止する理由はなくなることを事前に確認しておく。
このような事前の打合せを経て、弁護士はシャ-プペンについて何も知らない振りをして、法教育の実践を行う。まず、子どもたちが、先生にシャープペン使用禁止の立法事実を尋ねる。子どもたちは、教師が説明する立法事実(留め・跳ねができない、芯が折れやすい、高価なものもある)を丁寧に聞き取り、その内容について反論を検討する。
シャ-プペンがいい点もまとめる。そして、シャ-プペンの使用の方法などを教師側に提案する。子どもたちからは、算数とか理科はシャ-プペンは小さな文字が書けるので使いたい、国語はシャ-プペンによっては、留める、跳ねるができないので鉛筆にする、等の提案があった。みんな同じシャ-プペンを使うという提案が出たこともあった。
以下、前述の話し合いのテーマに対しどのようなアプローチやアドバイスをしたかについて、その一部を紹介する。
②給食にグラタンが食べたい。このテーマでは、学校給食の意味、栄養士の存在する意味、給食を作る人、そして、最後は学校の責任者である校長先生と交渉する、とういうアドバイスをした。子どもたちは、小さな社会において、「きまり」の中で立法事実がないものは変えることができるし、立法事実があっても当事者間の話し合いで変えることができることを実感できたと思う。
③通学班を止めてほしい。このテーマでは、子どもたちと通学班の意義  を話し合った。子どもたちを犯罪被害などから守るために通学班があることを理解してもらった。子どもたちにとっては一見個人の自由を縛るルールでも、合理的理由があり、それが共生社会に必要なものであることを学ぶ機会になった。
⑧自分を変えたい。法教育の実践ではこのような抽象的なテーマを扱うこともある。弁護士が人権配慮の見地から「自分を変えるかどうかは、自分で決めるものであり、今の君そのままでもいいよ」と助言すると、泣き出してしまった子どももいた。
⑩ トイレの臭いが教室まで入ってくる。子どもたちがどんなに一生懸命清掃をしても臭いが解消されなかった。原因を調査したところ、古くなった校舎の構造的な問題であった。したがって、この問題を解決するには、学校の設置者が地方自治体であることを明らかにして地方議会に請願を出すという手段があることを子どもたちに伝えた。
以上のとおり、子どもたちは自分たちが疑問に思った問題について弁護士と共に解決方法を模索し、その結果、自分たちの抱える問題について、解決できる相手方を以下のとおり分類できることを学び、小さな社会だけで解決できる問題と解決できない問題があることを理解する。
① クラスだけで解決できる問題。
② 校長先生の裁量の問題
③ 教育委員会の問題
④ 地方自治体の問題
⑤ 国の問題
さらに、子どもたちは弁護士との話し合いの中で次のことを理解する。
① 多数決で決められないものがある。
② 話し合いをしても合意ができないこともある。
③ 学級だけで決められないこともある。
④ 話し合いでは人を傷つけてはいけない。
⑤ きまりには立法事実がある筈で、立法事実がない場合は、きまりを無くすことができる。
4 以上のとおり、学級とういう小さな社会において、主権者教育として現実に存在する課題や問題の解決をすることは、通常の授業とは異なる。教師から答えを教えて貰うのではない。答えを記憶するものでもない。子どもたちが、自らが生活する小さな社会において課題を解決することを体験することにより、子どもたちの非認知能力を高めるのである。
  法学の方法論には、伝統的な教師による体系的な講義の方法と、欧米では主流であるといわれる具体的なケースの分析を通じて普遍的な原理を学んでいく方法がある。小さな社会の主権者教育は後者に属する。子どもたちが抱えている具体的な課題、問題の解決を模索し、その結果、以下のような成果を得るのである。
① 知識を介さないで、問題解決の過程から主権者意識、人権意識を醸成する。
② 対話と傾聴(表現の自由)の大切さを理解する。
③ 意見の相対性、多面性、多様性を体験する。
④ 共生社会を実現する問題解決力を身につけ、共生社会の担い手になる。
⑤ 自己肯定感を高め、子どもを元気にする。
子どもたちは、学級、学校や現代社会に対し、問題や疑問を感じている はずである。小さな社会での問題解決という法教育は、小学校に限らず、中学校でも高等学校でも同じ手法で行うことができるだろう(注4)、(注5)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(注1)文科省小学校学習指導要領112頁、同中学校118頁、同高等学校353頁。
(注2)子どもの権利条約12条1項「締約国は、自己の意見を形成する能力のあ                 る児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。」
(注3)憲法判断の方法として、立法事実論がある。憲法事件では、違憲か合憲かが争われる法律の立法目的及び立法目的を達成する手段(規制手段)の合理性を裏づけ支える社会的・経済的・文化的な一般事実が、問題になる。法律が合憲であるためには、その法律の背後にあってそれを支えている右のような一般事実の存在と、その事実の妥当性が認められなければならないのである(芦辺信喜「憲法第5版」372頁)。判例として薬局距離制限を違憲とした最高裁判決(昭和50年4月30日)がある。立法事実の考え方は、およそルールで人に対し拘束力を課す場合に妥当するものである。
(注4)前掲(注1)で各学習指導要領を引用するとおり小学校・中学校・高等学校の学級活動・ホームルーム活動の目標は同じである。
(注5) なお、小学校指導要領解説は「学級活動や児童会活動などにおいては,諸問題についてみんなで話し合って民主的に解決したり,きまりの必要性を理解させたり,きまりをつくったり,守ったりすることの意義を考えさせたりする場面が多くあり,法教育としての役割も有している。」(31頁)とし、文科省も学級活動等について法教育の意義を認めるに至っている。