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2008年6月30日 by 小山 香, under
日々思うこと,
貧困と人権
第1 多重債務の現状について
まず、多重債務の定義をします。
「複数の消費者金融会社などから高金利の借り入れをし、その結果、定期収入だけでは支払いができず、支払いのために借り入れるという状態」
この状態にある方を多重債務者といいます。
次に、なぜ多重債務者が生まれるのか原因を考えてみましょう。
破産原因としては、約半数の人が収入に関する問題で破産になっています。そして、破産申立者の約8割ぐらいの人が月収20万円以下です。このように収入が少ないことが、多重債務の大きな要因になっています。
では、どうしてそのような人に、お金を貸したりするのでしょうか。
高金利で貸し付け、過酷な取り立てをし、別なところから借り入れをしてまで返済をさせる。これによって利益を得る。「過剰与信・高金利・過酷な取り立て」この三本が多重債務の主要な原因です。借り手側からすれば、収入が少ないので立場が弱く、高金利で借り入れをせざるをえなくなり、当然に支払いが困難になり、過酷な取り立てのために他社から借り入れをしてまで返済をする。こうした悪循環の上に多重債務が発生しているのです。
普通の企業は消費者に有意義な商品を販売し、消費者から感謝されて発展していくものです。これまでの消費者金融は、消費者を追い込み、生活を破綻させてまで利益を得ているのです。通常の貸し金行為は、消費者の生活状況を考慮し、返済が可能かどうか判断して貸します。しかし、消費者金融は、当然のように実質的審査もなく50万円位まではただちに貸してきました。
年間3万人の自殺者がいます。そのうち8千人位の人が経済生活苦で自殺をしています。多重債務問題は、深刻な社会問題です。刑事犯罪の強盗事件とか、横領事件なども、多重債務が原因というものもあります。夫婦の離婚も多重債務が原因のものもあります。
ところで、こうした多重債務の問題、特に深刻な自殺などの問題は、資本主義国に共通の問題なのでしょうか。私が知る限り、多重債務が深刻な社会問題になっているのは、日本と韓国ぐらいです。なぜ他の国では深刻な社会問題になっていないのでしょうか。仮に借金をしたとしても他人の家に本人の意志を無視して侵入することはできません。会社に勤務中、個人的な問題で連絡をしても会社は取り入ってはくれません。債権者は、債務者に対し債権を回収するために脅かせば脅迫罪になり、また脅かして債権を回収すれば恐喝罪になります。
本来、借金があろうと無かろうと市民の生活は法で保護されており、借金を負った市民も債権者に対し、当然に法が認める保護を要求できるのです。そうすると債権者がとり得る手段は民事の強制執行しかありません。強制執行をするとしても、すべての財産が執行できるものではありません。差し押さえ禁止財産といって、人が生活するための財産は強制執行ができません。給料を差し押さえるといっても、法律上月給の33万円までは4分の1まで差し押さえはできるのですが、債務者が差し押さえられては生活ができないと裁判所に申し立てをすれば差し押さえの範囲がさらに小さくなり、差し押さえができなくなることもあります。民事執行も人が生活できてはじめてその余力に対して執行できるものだからです。そうすると、とくだん財産のない債務者には強制執行は無関係なことです。
また5年間経過すれば、商事の時効が成立し、親の借金は相続放棄などによって完全に債務は消滅します。したがって、ふつうの生活をしている人は、夜逃げをしたり、ましてホームレスになってしまう必要はありません。にもかかわらず、先程述べた多重債務の問題が社会問題となっています。それは、市民を守る法律が、市民に届かないところに存在していることになります。そうしたところから多重債務の整理問題が登場し,特定調停、自己破産、個人再生等整理方法が確立されてきました。
第2 生きる権利
私は人間の命が社会において最も価値があり、最も大切なものであると思います。でも、これは自然科学のように証明できるものではありません。川の水は上から下に流れます。人間社会の法、すなわちルールはかくあるべきと人間が答えを出すものです。自動車が道路の左側、人間が右側、このルールを人間が決めて交通事故から人間の命をより守るために定めるものです。人間の命を一番に考えることによって、これを社会生活の中心的な核にしたものです。
憲法13条は当然にこの社会に存在しているルールを確認したものです。すなわち人間の命は、一番大切であることを憲法は確認し、宣言したのです。さらに、日本国憲法は25条で国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しました。したがって、市民がふつうに生活していくことを、当然に法は保障しているものです。
借金の問題について、法は破産法を制定し、免責の規定を導入しました。債権者の債権は免責によって消滅します。憲法が保障する財産権のうち、破産債権は公共の福祉の目的のために制限されるのです。免責の制度があることによって、債権者が更生し、その経済生活が再建できるのです。また、免責制度があることにより、財産を隠匿などをすることも間接的に防止することができ、免責の制度は破産者、その家族、さらには債権者そして社会にとって有益な必要な制度なのです。
憲法は、人間がふつうに生きることを保障しているのです。しかしながら、最初に説明しましたように、月収20万円以下の人の破産者が8割なのです。生活保護費が額面に換算し、月16万円あまりです。4人家族で額面に換算し、38万円あまりです。これが国が認める基準です。これ以下で生活している人がたくさんおり、日本では統計上生活保護を受けている人が100万人いますが、さらに400万人の人も受けるべき状況にありながら法の救済がなされないといわれております。多重債務の原因のひとつに、そもそも生活が困窮し、その責任が本人でないのにかかわらず、生活をする上になした消費者金融からの借り入れが原因だということがわかります。
また、多くのサラリーマンで蓄えがないものに対し、緊急な融資制度が存在しておりません。社会福祉協議会などが緊急な貸し付けを行っているようですが、十分に機能しておりません。多重債務問題を解決するために、サラ金法は、過剰与信、高金利、過酷な取り立てを禁止することになったのですが、これだけでは問題は解決できません。これからは、消費者金融は貸し付けの制限があり、金利を制約される以上、より慎重な貸し付けをすることによって、どうしても生活する上に必要な人は、ヤミ金融に走ることが考えられます。市民がヤミ金融に手を出さないためには、公的な貸し付け制度の充実が必要です。憲法25条によって生活保護法が存在し、一応機能しているのです。さらに、市民がふつうに生きるために、セーフティネットとしての公的な貸し付け制度がなければ、今度はヤミ金融問題が大きな社会問題になります。
私は、多重債務問題はこれまで社会問題としてとらえ、解決を模索してきたものですが、発想を変えて、人間の生きる権利、そのために法とか社会制度は存在すると認識し、破産の免責制度は当然の市民の権利であると考えるべきであると思います。したがって、学校教育においても、このような視点を教えるべきと思っております。
平成20年6月30日 小山 香
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2008年6月24日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
6月20日は私にとって一生の思い出になるかも知れません。
現在の朝霞市議会において、父子手当条例創設の請願の採択は画期的なことだったからです。
3月の予算審議の際、これまで、薄々知っていたのですが、児童扶養手当には、父子家庭に対し支給されないことを再認識しました。
普通の人権感覚として、同じ経済状態にありながら、父親と言うだけで毎月約4万~1万円の児童扶養手当が支給されないことは、不合理であると考えます。
インターネットで、調査したところ、このことについて、疑問に持ち、父子手当条例を制定している自治体があることを知りました。そこで、意を強くして、予算審議の際、この点を質問したところ、「検討していきたい」との回答を得たのです。しかしながら、検討するというのは、何もしないということの同義であるとも考えられるので、何とか早期に朝霞市に父子家庭条例の創設の実現を図りたいと考えました。
そこで、各自治体の条例を研究し、議員提出条例として、議会の議決を求めたいと思ったものの、朝霞市議会では、議員が共同して条例を作るという先例もないようで、私一人が突出しても問題があると考えました。
そこで、助言に従い、まずは、請願の形で市議会に提出し、請願の採択を得る手段を選択した。
ちょうど近所に父子家庭の親子がお住まいなので、請願の提出を得ることが出来ました。本来、私が請願の紹介議員になるべきであるが、請願を審査する民政常任委員会の委員であるので、紹介議員になれなれませんでした。
当初、この請願は、誰の反対もなく通るものと思っていた。
他方、仮に請願が通らない場合、児童扶養手当法に問題があり、こうした父子手当条例の必要性が生まれてくるのものなので、児童扶養手当法の改正の意見書を市議会に提出し、これは、全会一致で当然に通るものと高をくくっていました。
議員提出議案は、代表者会議に諮り、全員一致の場合は、本会議での手続きを簡略化し、そうでない場合は、正式な議案として提出することになります。代表者会議では、大きな会派は、保留ということで、これすらも否決になることを危惧しました。
議案として出す場合は、賛同者2名が必要なところ、同じ無所属議員2名が気持ちよく賛同してくれました。こうして、最終日が迫り、採決を予想していたところ、法改正の意見書については、議長の斡旋があったのか、突然全会派同意ということになりました。おそらく、議長としても、児童扶養手当に欠陥があることは、明らかであり、大きな会派が、これを否決するのは、市民から相当の批判を受けることを心配して、説得されたものと推測しました。
最終日の20日、残る問題は、請願の採択でした。
大きな会派の反対討論は
「お父さんは、経済的に困難になってもがんばりなさい。また、全国でわずか、9くらいしかこの種の条例はないから、今、作る必要はない。」
というものでしたが、賛成討論は、
「近時のワーキングプアの問題があり、父子手当は必要である。さらには、この問題は、法律の欠陥を補うもので、経済的に困窮しているならば、母子家庭、父子家庭を区別することなく、一人親子として、平等に支給すべきである。あさかしないに、支給対象世帯は、12世帯と予想され、年間予算は、400万円余りである。」
というものです。
裁決が行われ、当初の危惧を払拭し、13対10で採択されました。
補足するならば、朝霞の良心が示された請願の採択であると考えます。
同日、全員一致で議決された「法律改正の意見書」は、政府に提出されることになり、将来、法律が改正された場合、今回の出来事がその一石になっているとするならば、大変良いことをしたと内心自負しています。
2008年6月 24日小山 香
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2008年6月21日 by 小山 香, under
メディア掲載情報
「埼玉新聞」2008年6月21日朝刊に「父子家庭条例の創設請願を採択」という見出しで、報道記事が掲載されました。
→ [PDF]「父子家庭条例の創設請願を採択」
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by 小山 香, under
メディア掲載情報
「毎日新聞」2008年6月21日朝刊に「児童扶養手当父子家庭にも」という見出しで、報道記事が掲載されました。
→ [PDF] 「児童扶養手当父子家庭にも」
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2008年6月3日 by 小山 香, under
教育,
日々思うこと
少年法が改正されようとしています。
少年審判において、被害者や遺族の傍聴を可能とするものです。
この問題は、少年の更生を重視するか、被害者の少年の審判における態度を傍聴したい気持ちを重視するのか、そのどちらを重視すべきかに帰します。
これまで、少年審判は非公開でした。
弁護士が特にお願いして、学校の先生とか、少年側の監督可能な人など、同席させることがありました。
少年審判は、罰することが目的ではなく、少年の全人格を把握し、少年が更生するためにどの手段が妥当であるかを中心に行われてきました。
少年が審判廷で真実を語ることを重視してきました。
よりつきつめるならば、少年の心の中の暗い部分を少年に語らせることに意義がありました。
しかしながら、もし、審判に被害者が同席しているならば、少年にそのようなことを語らせることが困難になると思います。
むしろ、大人のまねをして、形式的な謝罪を繰り返すだけになりはしないか、とても心配です。
少年法は、通常の考えとは全く発想が異なり、少年を丸ごと受け止め、少年に適した処遇を関係者みんなで検討するものです。
鑑別所の技官、調査官、裁判官。
少年事件を担当するとき、私はどうしても少年の事件が少年だけの責任とは思えないことが度々あります。
少年は、社会の様々な環境の中で生活しており、いわば、社会の鏡であるとも考えられます。
少年問題は、少年、家庭、社会、さらには国も含めて、全ての関係者が、少年の福祉のために何が出来るのか考えなければならないと思っております。
今回の少年法改正は、少年が更生する機会を妨げないのか、危惧があります。
少年が、損得で動き、自分の心から発しない謝罪を強制されるのではないかなどの点について、心配があるからです。
2008年6月 3日小山 香
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2008年6月1日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
多少法律をやっているが、実感として、行政の役割を自分の体で理解していなかった。
弁護士会の委員会やらで、山口県光市の親子殺人事件の様な凶悪事件において、被告人の死刑の当否について議論をしていた。
問題は、遺族の被害感情は被告人に対し死刑以外にないかどうか。
ある弁護士が「被告人を死刑にしたところで、遺族の被害感情は癒えるのではない、司法の問題では解決できない、行政の問題だ」と発言した。
憲法の授業に出たり、教科書を読んだりして行政の意義について一応は答えられるかも知れない。
このときハットした。
そういえば、北朝鮮拉致事件の被害者に対し、また、新潟県の小学生監禁事件の被害者に対し、行政はプロジェクトを作って対応した(新潟の被害者はどこまで回復したのだろうか。)。
そうなんだ、行政は一個人では解決できない問題に解決の手助けをするものなんだ。
ー初めて実感として行政の役割を気がついた。ー
ある弁護士のひとことから、住民に関する地方自治の役割が見えてきた。
こんな経緯から
多重債務問題
さらには、
自殺防止対策
父子手当
たばこ対策
・・・・・
を行政の問題であると自覚するようになった。
(さあ、今度高齢者・障がい者問題だの提言だ。)
2008年6月 1日小山 香
追伸
地方自治法1条の2
1項は地方公共団体は住民の福祉の増進を図ることを基本とする。
まさに地方公共団体は、頼れるお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん
そして先生でなければいけないと思います。
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2008年5月31日 by 小山 香, under
教育,
日々思うこと
読者から
「青少年にはたばこ対策ばかりでなく、薬物対策の必要もある。」
との指摘を受けました。
刑事事件でこれまでシンナー吸引、覚せい剤などの事件を担当して、薬物が健康な体を蝕むことを実感にしています。
何回も何回も警察に捕まる人がいる。
現在の薬物対策は、単に刑を科すだけの対処が中心です。
しかし、当人は病人なのですから、原因の依存症を改善しなければ、事件を繰り返す可能性があります。
そうすると青少年に対する薬物対策は、「依存症になりにくい人間にする」ということになると思います。
ここまで来ると、薬物対策の究極は人間教育です。
豊かなこころ
困難から逃げないこと。
自分ばかりでなく人の幸せも考えること
そして、思慮深い考えること
そんなことを青少年に理解して貰いたい。
そして究極の薬物対策の基礎は、実は子どもの瞳がきらきら輝くまち
づくりであると思います。
2008年5月 31日小山 香
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2008年5月30日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議会発言録,
議員活動
今回、一般質問でたばこ対策を取り上げます。
たばこ依存症について、私には、ある思い出があります。
私の知人でヘビースモーカーの者がいました。
随分前に、奥さんと別れる別れないという時に、心を入れ替える証として、私は「本人に喫煙を止めさせます」と言ったことがあります。
そのような根回しをして、本人もこの機会に禁煙を実行しました。
しかし、2日で悲鳴をあげてきました。その時は、禁煙は簡単にできるだろうと思っていたところ、どうして出来ないのだろうかと、本人の努力のことをとても残念に思いました。
その後、喫煙者が肺ガンになっても、肺機能障害の重病にかかり、酸素吸引機で呼吸するに至るまでの疾患になっても、止められない人がいることを知るようになりました。
今日では、喫煙は、ニコチン依存症という中毒であり、本人の努力では克服できないことを知りました。すなわち、喫煙者に禁煙しろというのは、不可能なことを強いるものであり、相手方に対し、精神的ないじめなのだと感じております。
行政は、たばこ税が入って、喜んでいるかと思いますが、他方、その税金は、喫煙者の健康、周りの人の健康をも害することとなるのです。このことを棚上げして、喜ぶわけにはいきません。
統計によると、喫煙の社会的損失は、税金収入の2倍以上ということです。
したがって、もはや、たばこで利益を得ることは、社会道徳上、やめにしなければなりません。
税金の収入があるとするならば、汚い手による税金と考えられなくはないので、その全額を禁煙指導等にまわすべきだと思います。
いずれにしても、たばこ対策は、喫煙者が医学的にニコチン中毒患者であることを理解して対策を練ることになります。
ところで、一般質問で、多重債務者のギャンブル依存症も取り上げます。
これも同じく、ギャンブル依存という中毒にかかった人に対する債務整理問題なのです。
本人が経済的更正するためには、単なる債務整理では、病根を除去できません。
社会には、様々な依存症があります。思いつくままに上げれば、
ゲーム依存症
アルコール依存症
・・・・・・
どれもみな、現実に生きている人間生活の中で自然にかかってしまう病気なのです。
私は、こうした依存症にかかった人々を憎めません。
少し飛躍しますが、こんなことから、死刑制度にも反対するのです。
それは、何らかの理由で、人間の命の尊厳さを自覚できない病気にかかっていると思うのです。
社会は、大なり小なり、病気と共存しています。
こんなことを自覚しながら、
”行政は病気から抜け出たい人々に手をさしのべる必要がある”
と思っております。
2008年5月 30日小山 香
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2008年5月26日 by 小山 香, under
憲法,
日々思うこと
憲法にはじめて出会ったのは、小学6年生だ。国民主権、平和主義、基本的人権などの新鮮な言葉は、子どもごころに感動を与えた。
国民主権ー平たくいうと、国民が一番偉くて、総理大臣は一番下なんだということになる。
平和主義ーどんな問題も最後まで話し合いで解決する。
かっこいいと思った。
基本的人権ー人間には絶対に奪われない権利がある。
人間はすごい権利を持っているんだ。うーん関心した。
こんなことから、大学では、当然憲法を更に勉強すべきところ、違憲立法審査権の形骸化から、急に憲法の興味がうすくなり、その後ずーっと憲法から遠ざかっていた。
・・・・・
とこらが、偶然の事情から、弁護士会の憲法委員会の委員になり、他方多重債務、生活保護問題を通じて、平和主義、生存権を再認識し、眠っていた憲法感覚が目覚めた。
・・・・・・
社会の中心に人間の命があり、
その命を社会が支えるのが、憲法の理念である。
昔、高名な学者の「所有権法の理論」という研究書があった。
もしその学者のような能力があるなら「人間法の理論」という研究書を出し、社会の中心に人間があることをたたえたい。
・・・・・・・
憲法から始まり、憲法に戻ってきたわけだ。
2008年5月 26日小山 香
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2008年5月23日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
朝霞市のまちづくり100年の計画の端緒になる公務員宿舎建設問題について、最後は各議員それぞれその考えを述べる必要があると思っていた。
市長も紆余曲折はあったが、このことを理解し、ようやく議会に諮ることになった。
市議会の議決案件は地方自治法上限定されているが、
条例でこれを拡大することができる(本来そうあるべきである。)。
そこで、市長は5月19日に市議会に諮る前提として、5月12日に市議会に諮る条例制定の提案をした。
この原案は、効力が議決の限りとしていたので、当職は、法律上効力につき解除条件無効であるので、解除条件を外す修正案を提案した。
修正案は原案をよりよいものにするためのものであり、原案の本文に反対するものではない。
結論を先に言うと、修正案、そして原案共も否決された。
びっくりする出来事である。市長提案を市長与党?である進政会、明政会、公明党が否決したのである。
さかのぼると質疑で不思議なやりとりがあった。
進政会のA議員が市長に議案として市議会に諮るのは市長の執行権の干渉ではないかと質問した。
(当初、この質問の意図はわからなかった。)
市長は、基地跡地の件は歴史的経緯があり、朝霞市にとって重要な課題だ。
執行権にとどまらせず、議会の議決をえることで自治体としての意思決定をしたいと答弁した。
(至極もっともな理由である。)
そして討論で行われた。
予想外の展開になった。
進政会のB議員は、原案は修正の必要はないと討論
明政会のC議員は、あらためて、市議会に諮る必要はないと原案に反対討論
公明党のD議員は、市長の計画案は議会の意見が反映されていないと原案に反対討論
こんな理由で結局、採決で、
市長が議会に諮りたいというのを、その必要がないといって否決したのである。
ところで、進政会のB議員は、原案は修正の必要はないと討論しながら、進政会は採決で反対するのは、どんなものか。
・・・・・・・
いずれにしても
市議会は市政をチェックする法律上の機関である。市長がチェックしてくださいと
いっても市長与党?がこぞって否決した。
・・・・・
民主主義は討論が本質である。私は一人会派であり、数では、優位に立てない。しかしながら、いつも私の意見に反対する人に理念の一部でも理解していただきたいと討論をしている(あるとき、ある議員が「小山さんのいうことわかる。オレは保守本流だから、賛成できない」いっていた。)。
議論、討論は必要がないなら、市議会も不必要なことになりはしないか。
2008年5月 23日小山 香