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対話で共生社会をめざす(6)

少し詳しく説明すると、決め方というのは、仲間とか団体の内容によっても違いが出て来ます。仲間や団体には、利益獲得などを目的とするところと、共に生活をするところがあります。利益獲得のところでは、迅速な決定が大切であり、多数決が妥当かも知れません。しかし、共に生活するところでは、人権にも関連するので、私たちはなんとか全員一致の合意形成をめざして行きたいと思います。

少し参考になる例として、国際連合があります。

6年生になると国際連合を学びます。国際連合では、平和に関する大切なことは、安全保障理事会というところが決めます。そこでは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の全会一致をしないと決められません。多数決で決めたら、反対した国との間で第三次世界対戦になってしまうかもしれないからです。第二次世界大戦は、当時の国際連盟は多数決で決めたために起きたとも言えるのです。

新聞などでも報道されていますが、今、ヨーロッパでテロが度々起きています。その手段は絶対に許される筈はありません。しかし、社会から排除された人たちが、こうしたテロを起こすのです。私は、そういう人たちに対し、言論の自由によって問題の解決をめざして欲しいと願っています。

私たちは、全員一致の合意形成により、世界中の人が話し合いによって平和になると思います。それぞれの主張を譲歩しても、平和な社会の方が良いことは間違いありません。

合意形成の話し合いは、例えば次のようなものと思います。

仮に、A君とB子さんがいるとします。A君が100主張し、B子さんが100主張し続けると決まりません。対立のままです。しかし、A君が100から50譲歩し、B子さんが100から50譲歩すると丁度合意が成立することになります。

対話で共生社会をめざす(5)

みなさんは、毎日、学校や学級という小さな社会で生活しています。その学級の問題の解決は、どのようにしていますか。

小さな社会の一人ひとりに人権があります。一人ひとりに人権がある以上、対立があるのは当然です。一人ひとりに人権があるということは、ものごとを解決するために、対話と傾聴をすることになります。

傾聴は大切です。相手の人を尊重しているということから、耳を傾けて聴くことになります。対話と傾聴をして、合意形成を目指します。

みなさんが学級会で物事を決めるときには、多数決が多いですね。多数決の場合、仮に100人いて、51人の意見が通ったら、残りの49人は悲しいですね。多数決では、排除される少数が出てしまいます。

多数決でも単純多数決、過半数、絶対多数決といろいろあります。簡単な問題は単純多数決が早く決まります。しかし、大切な問題は、過半数、さらには例えば絶対多数決として3分の2や、4分の3の得票で決めることがあります。

日本国憲法は、96条で憲法の改正の方法を定めています。憲法改正は大切な問題なので、国会の発議は3分の2としたのです。

ヨーロッパの選挙では、過半数主義というものがあり、1回目で過半数のものがなければ、2回目の投票は、1回目の上位1、2位のうちが過半数を得たものとしています。

キリスト教のカトリック教徒の一番偉い人はローマ法王といいます。法王を選ぶときは、3分の2以上の得票が得られるまで、何回も投票をして決めます。

対話で共生社会をめざす(4)

年末で仕事がない人とか、ホームレスで住むところがない人など、約500人が日比谷公園にやってきました。その様子は、テレビで放映されました。これから正月を迎えるというのに、日比谷公園にお腹をすかしている人が沢山いるのは何故か。憲法に生きる権利があるのにどういう訳だと、マスコミが報道し、結果政府が動いて、急いで空いている公共施設を斡旋するなど、生存権を保障して緊急に生活を支えました。

これは、ともに生きる社会なのだ、困っている人を助けよう、という気持ちを、みんなが表現の自由によって、新聞、テレビなどで訴えて、政府を動かし、一気にホームレスの人などに家を提供したり、仕事を見つけることを手伝ったりしたのものです。

あれから9年。公園にはホームレスの人はいないはずです。公園に一杯いたホームレスの人は、文化的な最低限度の保障を受けて生活しているはずです。中には、再び社会の中で仕事を見つけて活動している人もいる筈です。

 

さあ、次に大切は人権はなんでしょうか。私は、表現の自由だと思います。

広島の子どもたちが日本中に対して発信した、戦争の経験は必要ない、戦争の事実は勉強してください、そして一人ひとりの生命を大切にしましょう、というメッセージも、表現の自由なのです。

今日、みなさんはここに来ています。この場所で、私は話し、みなさんは聞く。そして、みんなで意見を述べ合います。みんなで考えて、個人を尊重する共生社会を実現しましょうと、価値を共有するための場所です。これを集会といいます。これも表現の自由の一つとして、憲法21条で保障されています。今から9年前の年末、公園などで野宿していた沢山のホームレスの人たちに、なんとかして正月を迎えさせたいと訴えたのも、表現の自由です。

 

対話で共生社会をめざす(3)

「すべて国民は個人として尊重される。」

国民は、人ではなく個人として、尊重されるのです。

背の高い人、背の低い人、声の大きい人、小さい人、おじいちゃんも、おばあちゃんも、あかちゃんも、障害をもっている人も、つまり生きているすべての人を尊重する。つまり、人間の生命が一番大切だと宣言をしたのです。

今、世界中で70億の人がいます。全員が人間の生命が大切だと思っている筈です。もし思っていなければ、その人はおかしい人です。

人間の生命は大切です。しかし、もし食べるご飯がなかったら、みなさんは死んでしまいます。共生社会の私たちは、食べるご飯がない人には、人間として生きる権利を保障するのです。これを生存権といいます。

憲法25条を見てください。こんなことが書いてあります。

「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

生存権は私たちにとって、とても大切です。万一、病気しても仕事が無くなっても、最低限度人間として生きる権利があるということです。

憲法は、13条で生命を保障し、もしご飯がなければ、生きる権利としてご飯を食べる権利を25条で保障しているのてす。憲法は、私たちの存在を丸ごと認める、私たちの生命をみんなで支える、このように人権を保障しているのです。

 

今から9年前の12月、東京の日比谷公園に年越し派遣村という臨時の村ができました。

対話で共生社会をめざす(2)

私には、広島市長の言葉よりも、安部首相の言葉よりも、子どもたちのメッセージの方がドンと胸に来ました。つまり、子どもたちの平和の誓いが私たちの心に届き、さらに平和を実現する社会にしようという合意形成がなされたのです。平和の共生社会の実現を目指す合意形成がなされたのです。

私たちがこの法教育で伝えたいことは、これなのです。言論を通じて、合意形成を目指す。やさしい言葉でいうならば、対話と傾聴を通じて、個人の尊厳に基づく共生社会の実現をみんなで目指していくことです。

子どもたちは、人権を、表現の自由の一つである言論によって、全国民、全世界に訴えたのです。一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうことを。

 

ところで、みなさん。人権とは何でしょうか。いろいろな人権がありますが、

人権で何が一番大切でしょうか。

みなさん、腕を出して下さい。そして、叩いて下さい。痛いでしょう。自分で叩いて痛いのなら、当然、人を叩けばその人は痛い筈です。人権というのは、自分がして欲しくないことを、人にしてはいけないということです。

広島の子どもたちは、こう言っていますよね。20万人の人の生命が奪われた。こんな悲しいことを繰り返さないでくれ。悲しい事実を学んで欲しい。

私たちは、人から叩かれたりしたくありません。人から悪口も言われたくありません。人からいじめられたり、傷つけられたり、自分の生命も奪われたくありません。

だから私たちは、人間の生命が一番大切だとしたのです。日本国憲法も、人間の生命が一番大切だと宣言したのです。憲法13条には、こんなことが書いてあります。

対話で共生社会をめざす(1)

昨日、県北の大学であるまちの子ども大学の企画の一つとして法教育の実践をしてきた。その前座で子どもたちにお話をする機会があった。

・・・・・・・・・・・・・・・・

こんにちは

私は8月6日に、広島に行ってきました。皆さんは、8月6日が何の日か知っていますか。今から72年前のその日、午前8時15分、広島に原爆が落ちて、約20万人の生命が失われました。

午前8時から平和記念式典が始まりますが、会場は午前6時30分には一杯でした。メインの会場には入れませんでしたが、脇の会場でテレビがありましたので、それを見ていました。

午前8時になり、そして、原爆が投下された午前8時15分、1分間の黙祷をしました。

記念式典では、多くの方がスピーチをします。最後の方に、小学生二人が堂々と演題に上がってスピーチを始めました。これまでの人は原稿を読んでいましたが、その二人の小学生は、原稿はありませんでした。

みなさんのお手元に、スピーチの原稿を入れておきました。その小学6年生のお兄さんとお姉さんは、こんなことを言っていました。

 

「平和への誓い」

未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。一人ひとりの命の重みを知ること、互いを認めあうこと、まっすぐ世界の人々に届く言葉で、あきらめず、粘り強く伝えていきます。広島の子どもの私たちが勇気を出し、心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

平成29年(2017年)8月6日

29年8月6日広島平和公園

昨日、朝6時30分、広島の平和公園にいた。

8時から式典が始まるので、大丈夫と思っが、

メインの会場は入れない。

こんな朝早くから次から次ぎと人が集まってくる。

平和の式典に大いなる意義を認めている人々

新聞によると5万人というが、直感的にそれ以上の人である。

メイン会場から離れたところにテレビが配置してあった。

 

平和公園(縮小)

 

そこで式典に臨むことにした。

遠くのテレビ画面に子どもが誓いを発言している。

私の目の外国の人が折り鶴に挑戦をしている。

公園は、平和を愛する人で溢れていた。

平和の見える化が大切だ。

午後は高校生の劇を見た。

1時間にわたる劇だった。

 

子どもの誓いの末尾を下記のする。

平和への誓い

未来の人に、戦争の体験は不要です。

しかし、

戦争の事実を正しく学ぶことは必要です。

一人ひとりの命の重みを知ること、

互いを認めあうこと、

まっすぐ世界の人々に届く言葉で、

あきらめず、粘り強く伝えていきます。

広島の子供の私たちが勇気を出し、

心と心をつなぐ架け橋を築いていきます。

平成29年(2017年)8月6日

こども代表
・・・・・

子どもたちは全文原稿に見ずに発言していた。

貴重な体験の一日だった。

6月議会報告1これでいいのか?「ポポタン」と「ぽぽたん」

6月議会で小山は、新しキャラクターについて質問をした。

なぜならば、既に「ポポタン」で5件の商標登録がある。

そのうち、下記の宗教法人は、「ポポタン」キャラクターを作っている。

宗教法人の商標の侵害の可能性はないだろうか。

仮にないとしても、宗教法人と類似のキャラクターを作っていいのだろうか。

「ポポタン」と「ぽぽたん」(小)

 

商標        区分             出願人     出願日     登録日

ポポタン 09 16 41     ●●●     2008/10/31   2009/07/03

 

 

6月議会の一般質問

1まちづくり~量から質へ

(1)人口増加の要因

2市制施行50周年と市民参加

(1)むさしのフロントあさかの選定

(2)朝霞市キャラクターの選定

(3)記念品の選定

3五輪と朝霞及び市民

(1)費用対効果

(2)ホストタウン

4中学生の学力向上

(1)現状と課題

5保育行政と条例

(1)現状と課題

6シャトルバス(朝霞駅~市役所~コミセン~図書館等)

(1)公共施設への交通手段

7ライトダウン

(1)彩夏祭とライトダウン

最近の出来事について

弁護士として文字通り東奔西走している。

依頼者との関係とかもあって、民事事件はあまり、ここでは触れていない。

私は受任している事件に正義がなければ、受任しない。

先日、ある事件でお客が会社は社長を訴えて、その側添えで社員までも訴えられた事件があった。

私は社員の弁護士である。

この事件の背後にはオーナーがいる。

原告の真実の相手はオーナー実質経営者である。

オーナーが証人として出てきた。

証言拒絶を乱発する。

訴えられた善意の社員側の弁護士として歯がゆい思いがした。

私が原告の弁護士なら、社員を外す。

オーナーを訴えるために社員を、原告の証人として協力してもらう。

弁護士にも戦略があると思うが、真の「悪者?」を外すし、協力者となるものを訴える訴訟は、いかがなものだろうか。

 

私は、原告の反対尋問のためのある調査をした。

いずれにしても、訴えられた社員は納得できない。

なぜならば、自分を守る弁護料は自腹である。