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2010年5月15日 by 小山 香, under
平和と共生,
日々思うこと
5月13日午後4時過の沖縄県の辺野古である。
穏やかな、砂浜が続いている。
手前に基地侵入禁止の鉄条網が敷設してある。
その鉄条網に市民のビラがまいてある。
ここに下記のとおり滑走路を造るという、
これまでの現行計画に対し
政府の現在の検討案である。


朝日新聞は
基地マネー、思惑はずれ、名護、巨費投入後も
活気生まれず
題して、以下のとおりの記事を掲載した。
記
現行計画案を1999年(平成11年)当時の市長が受け入れを表明したのを引き換えに
10年間で783億の国費が地元振興策として投入された。
すなわち、地元が1割を負担すると9割が負担してハコモノが造られてきた。
しかし、事業費4億で道の駅が3月に完成したが、シャッターがしまったまである。

市からの2000万円の助成金をあてにしていたところ、1月の市長選挙で
普天間基地反対の市長が当選した市長が採算が乏しいので、
地元が自主運営すべきといって助成をやめたのである。
また上記の振興予算を使って、オフィイスビルを建築して
テナントとして28社の企業を誘致した。
900人余りの雇用が創出したという。
しかしながら、正社員は5割であり、
その余はパートタイマーというので
月の手取りが11万程度という。
辺野古のある名護市は、約240億(当市の
年間予算に匹敵)を投下した。
中心街はシャッターどおりであり
失業率は12・5パーセントになったという。
・・・・・・・・
以上ことからいえることは、
ハコモノを地元が1割の負担で
造っても、需要がなければ、
無駄なハコモノになってしまう。
閑散として、海辺にスーバーを造っても無駄になる。
企業に税法の優遇を与えても
安易に安い労働力を非正規として
雇用するならば、労働者は元気にはならない。
・・・・・・
巨費の投入がなければ、
いわゆる限界集落になっていただろうか。
しかし、そうだとしても、自分たちの目線で
力をだして問題解決の努力をしていたろう。
巨費が投入されると、計画書だけあれば
9割を出してくれるから、努力する機会を喪失
させてしまってはいなかったろうか。
・・・・・
飛行場の建設を受け入れ、
騒音に耐えて、コンクリート代金を
出してもらっても、
身分不相応のハコモノを造っても
活力は生まれてけこないことを悟ったのではないだうか。
・・・・・
名護市は、第2の夕張にならない決心をしたのではないだうか。
「ダダより高いものはない。」
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2010年5月5日 by 小山 香, under
日々思うこと,
貧困と人権
5月3日の毎日新聞にダライラマの記事があった。

おにぎりが食べたいといって餓死した人がいた。
お腹が空いたとき、再度福祉課の窓口に行くこともなく
餓死をした。
ダライ・ラマにいわせれば、
「物ごいするのは、恥でもなんでもない。
恥をかきながら生きるか、
恥をゆるせず自殺しようかと迷うなら恥を選んだ方がよい。
仏陀自身は托鉢した。」
という。
憲法25条の生存権があり、
国民は恥などかくこともなく、
当然の権利として給付を受けることができる。
憲法25条は、いわゆるマッカーサー草案にもなく
日本人が、提案して憲法の条項に加わったものである。
この生存権については、
ワイマール憲法の流れという見方もあるが、
すんなり、日本国憲法の条項になったのは、
仏教国?の末席として、
生きるすべのないものが、物乞い(托鉢)すれば
これに応えて喜捨するということが底流になったのではないだうか。
以下、記事の要点を抜粋した。
…….
12年続けて3万人が自殺している。
記者は、
「『経済大国』を実現したはずなのに、なぜ多くの人々が生き方を見失い、
幸せを実感できないのか。
自殺の増加は現代社会の大きな脅威だと思いますか。」
とダライラマに質問した。
ダライ・ラマは
「科学技術は精神的なものに取って代わり、お金が人々の心に浸透した。
お金は欲望、嫉妬、競争をもたらし、猜疑心を高め、人間同士の友情を壊す。
『自分は不幸だ』と感じ、
酒や麻薬に依存し、欲求不満が高じ、怒りっほくなる。
それは自殺や周囲の命を奪うことにつながる。
祈りだけでは問題は解決しない。
教育システムを直視しなければならない。
お金がすべての欲望をかなえるとうい考えは
非現実的である。
敬虔な仏教徒であるチベット人の精神的態度はより平和です。
彼らは自信に満ちていて、それが非暴力思想につながる。
極端な物質主義は世界的に危険な考え方です。
それは道徳的な倫理感を重視しません。
汚職や盗みによって得たお金も、賢明に働いて得たお金も
お金に違いはない。
だが、それに道徳的倫理的な支えはない。
今の経済危機は、強欲な拝金主義と投機的行為の結果である。
人々は危機を乗り越える方法も、
人間としての価値観も考慮せず、お金の話ばかりです。
恥をかきながら生きるか。
恥を許せず自殺しようかまようなら、
恥を選んだ方がよい。
何かで失敗し、不幸にも物ごいになっても
それは恥でもなっでもない。
仏陀自身は托鉢した。
私たちチベット人は(亡命して)
インドに来た時、食べ物を求める物ごいでした。
何かで失敗したとしても、自ら命を絶つ理由などない。」
と応えた。
…….
毎日の様に鉄道で人身事故の事故がある。
多重債務者の相談者に対し
生活保護の話をすると、
そんな恥ずかしいことは、
いやだという人もいる。
……….
記者は
ダライ・ラマに対し
「失礼ですが、ご自身で自殺を考えたことはありますか?」
と質問した。
ダライ・ラマは
「それは最高機密です(笑い)。
もしそんな感情を抱いたとしても、
私は誰にもいわないでしょう。
ただ、時々、わずかな怒りや失意を
感じることはありますが。」
……….
ダライ・ラマはある日、活仏となり、
チベットの動乱でインドに亡命した。
世界平和の活動などでノーベル平和賞を
受賞した。
そんなダライ・ラマも
記者は
「最高指導者として苦悩もにじませせた。」
といっている。
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2010年5月3日 by 小山 香, under
憲法,
日々思うこと
5月3日は憲法記念講演会に出かけることにしている。
今年は、明治大学で憲法講演会があった。
(駿河台のアカデミーホームは、すばらしい造りの建物だ。
それだけ維持費、そして,エンドユーザーの学生の学費が気にかかった。)
・・・・・
私が初めて、自分の意思で
講演会を聞きにいったのは
名古屋大学での憲法の講演会だ。
高校1年生のときだ。
題目は「信教の自由」ではなかったかと思う。
講演終了後、
おそる、おそる
檀上の下に行って、
講演者に質問したことを思い出す。
・・・・・
そして、大学に入り、
毎年この日は、新聞で講演場所を確認して
文京公会堂等に聞きにいった。
著名な人から講演を聞き、
充実した気持ちで帰途についたことを
思いだす。
・・・・・・

田中早苗氏(弁護士、右端の女性)
「インターネット時代とびら配り~たかがビラ配り、されどビラ配り」
と
森英樹氏(龍谷大学、右から2番目、紙面を読んでいる男性)
「『二つの法体系』の原点と現点-現行安保条約50年にあたって」。
の二つの講演だった。
・・・・・
表現の自由の問題と憲法のルールを日米安全保障条約が浸食する
という問題である。
600人を越す、聴衆だった。
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2010年4月27日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
「由らしむべし、知らしむべからず」とは、
一般には、「為政者は、民に対し、黙ってその方針に従せておくべきであり、
根拠、理由を植えない教えないというものである。」
と解されている。
徳川吉宗は、御定書百箇条を編集させたが、
一般には公開されないものであった。
・・・・・・
私たちが問題にしている
都市計画審議会の代理出席の問題は、
「由らしむべし、知らしむべからず」
の問題ではないだろうか。
都市計画審議会の議決は
建築基準法等の規制に連動する。
まさしく、法令の制定に等しいものである。
ところで
市長が自分で起案したものを
要綱と名付ける。
そうすると、市長の扱いでは、都市計画審議会の委員の
あるものには、代理出席が認められる。
しかしながら、要綱は、民である住民には、明らかにされていない。
朝霞市のHPの例規集でもアクセスできないのである。
民すなわち住民、黙って市長が定めた建築規制が生じる要綱に
従うべきとされるのは、納得できない。
すなわち、建築規制に影響する審議会の委員の
地位である代理について
その正統性を市議会等に問わなくてもいいのだすうか。
ところで、市長が代理出席を認める要綱では
商工会、農業委員会、交通(警察署)、環境委員会のものだけ
代理出席を認めている。
しかしながら、これはおかしい。
学識経験者として、たまたま
商工、農業、交通、環境の知見者として任命されているのであって、
圧力団体が委員になっているのではない。
市内には、子ども、青少年、老人、女性、障がい者、保育園、幼稚園、学校、
会社員等がいる。
この住民は、都市計画審議会の委員にはしてくれないのである。
法の平等原則に反する疑いがある。
既に述べたように、この要綱の存在は、都市計画審議会で
ある委員が見かけない人に対し質問して初めて
明らかになった。
まさしく、秘密扱いされてきたのである。
だから、
「由らしむべし、知らしむべからず」
といっているのである。
都市計画審議会という非常勤の地方公務員の地位を
市長が議会にも図らず、まして条例上の根拠もなく
定めているのである。
・・・・
普通は代理出席をしたものに対し、
報酬とか費用弁償を受けているので
住民は、その報酬、費用弁償を問題にできる。
しかし,代理出席をさせた朝霞警察署の署長は、埼玉県の公務員であり、
報酬と費用弁償を受け取っていない。
だから、違法支出で争うことはできない。
そこで、監査委員に対し、違法の端緒を示すために
住民5名が、委員でないものが審議会の委員として
審議に加わり、議決にも加わっており、
これは違法であるとして監査請求をなしたものである。
監査委員に対し、違法の端緒を明らかにしたが、
監査委員は、判断を回避したのである。
・・・・・・
「由らしむべし、知らしむべからず、」
の問題は、会計上の違法支出という問題に止まらず
「法の支配」の問題なのだ。
すなわち、
法の支配とは、
統治される人民だけでなく、統治する者である為政者も
法に従うべきであるという原理
の問題だ。
法は、
統治者及び非統治者の従うべき規範(ルール)として、
予め明示されなければ、ならない。
住民にも市議会にも明示されていない要綱で
住民を拘束する都市計画審議会の委員の代理を認める。
代理出席の問題は
民主主義の正統性の問題でなのである。
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2010年4月24日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
先日、新座市のひとり親会の福田さんが企画する講座があった。
企画の題名は「ひとり親支援講座」である。
今回は、シンルルマザーのみなし寡婦控除の適用を求める話をした。

私なりに調査したところ、朝霞市では、下記のとおり、
シングルマザーと結婚歴のあるマザーとに差異があかる。
5歳の子どもがいる母子家庭を想定して年収200万円、300万円
それぞれに寡婦控除がある、ない場合を下記のとおり試算した。

なお、所得税、住民税、国民年金は法律の改正が必要であるが
保育園の保育料、市営住宅の家賃は市長の裁量であるので、
その気になれば、明日からでもみなし寡婦控除が実行できる。
ところで、寡婦控除は、戦争未亡人を想定しているといわれている。その後、離婚の母
に適用になった。
憲法13条は個人の尊厳
憲法14条は、法の下の平等
憲法24条は、婚姻は両性の合意のみで成立
ところで、民法は、婚姻を合意だけで足りず、プラス届出を必要としている。
これを法律婚という。
しかしながら、社会には結婚のの実態があるが、婚姻届け出をしない
夫婦がいる。
これを事実婚という。
現在の寡婦の定義は
法律婚をした後の、未亡人のことをいっている。
したがって、事実婚の未亡人を寡婦とはいわない。
所得税の寡婦控除は、
事実婚の未亡人は該当しない。
したがって
シングルマザーには、寡婦控除は適用されてのである。
問題は、シングルマザーに子どもいる場合、
さらには、シングルファザーに子どもがいる場合
たまたま、母親に婚姻歴があれば、
寡婦控除の適用の結果、事実上の現在援助となる。
しかしながら、シングルマザー、シングルファザー
は、子を育てながらも、寡婦控除の適用がないことにより、
婚姻歴のある母子に対する寡婦控除による事実上の援助がない。
子の福祉を中心に考えるならば、
差別となる結果は、是認できない。
なぜならば、子どもは親を選ぶことができない。
法律婚を重視する立場は、差別を是認するようである。
法律婚主義の先には家制度を考慮していないだろうか。
しかしながら、憲法13条、14条に違反するのではないだろうか。
個人の尊厳の侵害であり、身分による差別である。
・・・・
法律の解釈には、
拡張解釈
類推解釈
がある。
刑事事件には類推解釈は禁止されているが
拡張解釈は許されるとされらている。
控除は納税者の子どもの福祉から、認めるべきである。
・・・・・・・
なお、当日、市議会議員の参加も予想されたので、
法律改正の意見書及び市議会の請願の案を
起案して配布した。
是非,地方議会から
シングルマザー、シングルファザーの
ひとり親子の支援を働きかけていただきたい。
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2010年4月22日 by 小山 香, under
日々思うこと,
貧困と人権
最近、電車を利用するとき、人身事故により、電車が遅延する
事態に遭遇する。
(あー、また自殺なのかなあと思い巡らし、暗い気分になる。)
ところで、埼玉県でも、大宮で自殺対策事業が弁護会、司法書士会、
NPO法人等の協力を得て動き出した。

私も大宮に行って、お手伝をした。
諸般の事情で毎週1回行うものである。
自殺する人が、1週間でも先の予定まで
待ってくれるのだろうか。
人間の生命が大切であることは
自明の理である。
そのためには、
自殺対策は、24時間体制で行うべきと考えている。
ボランティアの人が分担して
年に1回くらいなら、可能ではないだろうか。

相談会場には、精神科の先生も待機しており、
文字通り自殺対策行っている。
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2010年4月21日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
地方自治体は、首長と地方議会との車の両輪といわれている。
しかしながら、地方議会の大きな会派が、与党?となって
首長を支えている場合、残されたチェック機関は、
監査委員である。
しかし、監査委員も
学識経験者の委員は、首長によって任命され
他の一人は議員が任命される。
それでも、監査委員は、
地方自治体の最後の番人である。
だから、
この番人が、水際作戦をすることは、
地方自治の自殺行為であると解するがいかがであろうか。
・・・・・・・・・
市民5人の監査請求が、
手渡しでは拒絶され、
郵便では受理されたことは、先日述べたとおりである。
受理された監査請求は、次の理由で棄却された。
記
(会議が代理出席が違法で無効であったとしてもー小山注)
会議が成立するかどうかにによって報酬支給の適否を判断する
のではなく、(審議会の)会長からの招集により応召した時点で
報酬及び費用弁償は生じる・・・・・
・・・・・・・
以上のとおり監査委員は代理出席の論点について判断をすることなく、
判断した。
ところで、監査請求は、監査委員の職権の発動を求めるものである。
報酬及び費用弁償の問題は、端緒であり、
監査委員は代理出席による無効な審議会をやめさせる義務が
あるのではないだろうか。
すなわち、
仮に財政上の違法な支出がないと判断したとしても
法令に反する行為が存在しているならば
それを指摘して、是正勧告する義務が
あるのではないだろうか。
住民5名は、代理出席をやめさせる是正勧告
を期待して住民監査請求を行ったが、
上記のとおり肩すかしとなった。
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2010年4月19日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
全国でも珍しい住民監査請求の水際作戦があった。
朝霞市の住民5名が監査請求をおこなった。
都市計画審議会の平成21年1月23日及び2月9日の
審議に委員ではないものが、
法令上の根拠なく出席している
ことについて住民監査請求をなした。
他の4名の住民に所用があり、
請求人の一人である
私が平成22年1月20日午前11時過
書面を持参した。

上記の写真のとおり、私は確かに朝霞市監査委員会の職員に
請求人5人の監査請求書を交付した。
ところが、
午後4時過
朝霞市役所
監査事務局の事務員から
電話があった。
提出した監査請求書を返すから
市役所に取りに来てもらいたいというものだ。
「受理する要件があるならば受理して
受理する要件がなれば、却下して理由を付して貰いたい。
理由も書面にかかずに提出した書類を返すのは納得できない。」
「理由は書かない。」
「受理要件があるのに、受理しないことは
違法ではないか。法律の要件がないのに、書類を返すことは、
違法でばないか。国家賠償に当たるのではないか。
「とにかく、書類を返したい。」
「請求人は、私だけではない。5人だ。誰に返すのか。」
「小山さんは、原本で、他の4人には、原本を
コピーして返す。」
「理由を付さずに書類を送り返す場合の法令上の根拠を教えて
欲しい」
「・・・」
「この場合の不服申立の方法を教えて下さい。」
「・・・」
「なぜ、理由を書面に書いてくれないですか。」
「・・・」
最後は、事務員は、
「書類を市役所に取りにこなければ,書留郵便で返す。」
と言い切った。
・・・・・・・
1月22日私の家にだけ下記の書留郵便を送ってきた。住民監査請求書が入っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
封筒の中には、監査請求書とともに、下記の内容が記載された紙片が入っていた。

ところで、朝霞市監査委員は、他4名の請求人には、
何の連絡もしていない。
・・・・・・・・・・・
これまで、生活保護の申請で
水際作戦があることは体験した。
住民監査請求にも水際作戦があるのだ。
住民監査請求に、水際作戦がとられたら、
住民の声は、一切市政に届かない。
住民監査請求は、どのような声でも
行うことができるものであり、
監査委員は、理由がなければ、
棄却であり、
請求の要件に不備があり、
これを最後まで補正しなければ
却下
のいずれかであり、
理由を付さずに、監査請求書を送り返すことは
法令上あり得ない。
いずれにしても、
監査請求が民主的な住民にとって
参政権的な権利であるのに、
監査委員は
裁判官
検察官
会計検査委員
を兼ねているのである。
重要な機関である。
その監視する側の監査委員の
水際作戦は、自らの権能の否定行為ではていか。
・・・・・・・・
住民5人は、念のために2月4日、
前記住民監査請求書を書留郵便で送った。
監査委員はどういうわけか、今度はこれを受理した。
・・・・・・・・
朝霞市監査委員は
住民の手渡しでば郵便で送り返し、
住民の郵送でば受理をする。
この違いはどこにあるのだろうか。
・・・・・・
朝霞市監査委員の行ったことは、
法令上の根拠がないものであり、
違法行為であり、国家賠償が成立するのでは
ないのだろうか。
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2010年4月9日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議会発言録,
議員活動
平成22年度一般会計予算については、次のとおりの意見を述べた。
特に是認すべき点
1 喫煙場所を玄関脇から銀行ATMの建物に移動することについて
昨年の上記の喫煙場所の移動の請願については、
賛成は、私とベテランの無所属議員の2名のみだった。
反対は通常市長の政策について与党?もしくは与党よりといわれている
進政会7名、明政会3名と公明党5名、無所属議員1名
なんと、野党?よりの共産党3名も反対、
市民ネット2名は棄権
であった。
財産管理課の職員が銀行がATMを撤退する意向を
知って、上記の請願は否決されたにも変わらず、
予算仕分けで提案し、市長も賛同したのである。
財産管理課の職員の提案を評価したい。
また、市長は市長の支える?会派の意向に
反する?が予算付けを行ったことは、評価されなよい。
2 産業医、英語指導助手、学校歯科医の報酬は条例では
予算の範囲内となっていた。
これは、違法であり、このように繰り返し主張してきた。
やっと、今回14議案の報酬条例の改正で上記の予算の範囲内から
具体的な金額に修正された。
これも担当職員の努力を評価したい。
課題
1 戦争の記憶の風化の防止等を理由とする戦没者追悼式について
戦争の風化の防止として、戦争体験者の証言などの記録等について
関心がない。
朝霞市の現在は、戦争の遺産の上に、いわば平和の配当を
享受している。戦没者の追悼式のみならず、普遍的な施策を
すべきでばないか。
2 市たばこ税の歳入6億1900万円に対応するたばこ健康被害についての
施策がない。
3 中学生の海外派遣について
一部の相対的に成績のよい生徒しか行くことができない。
これが朝霞市の公教育を担っている教育委員会の
教育の機会均等の原則から妥当であろうか。
是非、行き先を遠い隣人といわれている韓国に
変えれば、同じ予算で10倍くらいの生徒を派遣できる。
検討すべきである。
反対
都市計画審議会の代理出席について
都市計画審議会は学識経験者中、交通、
環境、農業の委員だけ代理出席を認めている。
都市計画審議会の委員は非常勤の公務員である。
任命行為を経ないでいいのだろうか。
都市計画審議会は単なる諮問の会議ではなく
都市計画の決定の議決をする
まぢづくりを左右する法的な効力が生じるものである。
よって、代理出席を少なくとも条例に規定すべきである。
この1点を理由に結局一般会計予算に反対せざるを
得なかった。
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2010年4月2日 by 小山 香, under
日々思うこと,
議員活動
参議院で代理投票が問題になっていた。
論じるまでもなく、違法である。

この問題は単純だ。
議員でないものが、議員の活動をしてはならないことだ。
今、朝霞市ではこの理が通らない。
都市計画審議会で
ある日、見かけない人が座っていた。
ある委員が見かけない人に質問して
初めて、その見かけない人が
学識経験者の代理人であることがわかった。
都市計画審議会の委員は
特別職の地方公務員である。
地方公務員がその権限を
代理人に付与することなど
できるわけがない。
都市計画審議会は
その議決によって、
建築規制が生じる。
単なる意見を答申する会議ではない。
法令上の規制が生じる会議体である。
朝霞市では平成12年に当時の市長が作成し要綱
(市長の部下に対する指示文書)
で学識経験者のうち
商工、農業、交通、環境
の分野の委員は代理出席を認めるというのである。
国会で代理投票が当然に認められないのは、
議決行動は議員本人しか許されないからだ。
当然に都市計画審議会の委員についても
任命された委員のみが議決行動をしなければならないのである。
この問題は
昨年の1月23日、2月9日の両日の都市計画審議会において
発生した。
朝霞100年の計の審議である。
欠席する委員は
代理人に投票行動を指示して
代理人に出席させた。
まさに国会の代理投票の問題と同じである。
このことが当日審議会で問題になたったが、
この代理人は、会議の討論に参加し、
議決にも加わった。
国会では大きな問題になっている。
小さな地方議会であるが、
根っこは同じ問題だ。
この問題の是正を願って
市民の有志が朝霞市住民監査委員会
に監査請求を行ったのである。